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母の気持ちと『赤毛のアン』
お気に入りの小説を読み返した時、「これまでと見方が変わった」と感じることはありませんか?
私にとって、『赤毛のアン』はまさにそんな小説です。
初めて『赤毛のアン』を読んだのは、小学生の頃です。
主人公であるアンと年齢が近かったので、アンの視点で物語を楽しんでいました。
しかし、20代後半で妊娠し、「これから母親になる」というタイミングで読み返した時、今までとは異なる視点に出会ったのです。
それは、アンの母親代わりであるマリラ・クスバートの立場から物語を見ることです。
マリラは50代半ばくらいの厳格な女性で、兄のマシュウとともに苦労して農家を切り盛りしているため、心に余裕がありません。
子どもの私からすると、取りつく島がないような人物に思えました。
物語では、マリラについて、こんな風に書かれています。
マリラは背の高い、やせた女で、丸みのない角ばった体つきをしており、白髪の見えはじめた黒い髪をいつもうしろで、かたくひっつめにして、二本のかねのピンでぐさっととめていた。見るからに見聞のせまい、ゆとりのない心持を思わせたが、事実そのとおりであった。
どうしてマリラの視点から物語を見るようになったかというと、私と母の関係が重なったからです。
マリラはアンと過ごすうちに、彼女の考え方を理解するようになります。
そして、アンが成人に近づく頃には、「アンが家を出ずに、ずっとそばにいてくれたら」と思うほどに心境が変化します。
私がマリラに感情移入したのは、まさにこのシーンでした。
ずっと実家で暮らしていた私は、結婚して親元を離れる時、母との関係があまり良くなくなってしまいました。
自分が妊娠した際、『赤毛のアン』を読み返して、母の気持ちにようやく寄り添えたエピソードをお話しします。
『赤毛のアン』の魅力
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(カナダ プリンス・エドワード島 )
ルーシー・モード・モンゴメリ作『赤毛のアン』は、1908年に出版されてから100年以上もの間、世界中で愛されている作品です。
日本では、「世界名作劇場」シリーズでアニメ化されたり、劇団四季のミュージカルとして上演されたりしています。
物語の主人公は、11歳の少女アン・シャーリー。
幼い頃に両親を亡くし、孤児院で過ごしていたアンは、アヴォンリー村のクスバート兄妹に引き取られます。
クスバート兄妹は農業を営んでいますが、年齢的に2人で切り盛りするのが難しくなってきたため、孤児院から男の子を引き取ることにします。
しかし、やって来たのはやせっぽちの女の子だったのです。
兄妹はこの手違いに困惑しますが、アンの豊かな感性や明るい性格のおかげで、2人きりの侘しい生活に活気が生まれます。
また、人の愛情にあまり触れてこなかったアンも、クスバート兄妹やアヴォンリーの住民と過ごすうちに、人々の温かさを知っていきます。
この物語が面白いのは、アンが村の人たちとはまったく異なる考え方で行動するところです。
アンは想像力が豊かで、気に入った場所に特別な名前を付けたり、自分で物語を作ったりします。
たとえば、りんごの木の並木道を通りかかったとき、白い花が夕焼け色に染まるのを見て、あまりの美しさに息を呑みます。
そして、住民の間では単なる『並木道』と呼ばれていたこの道を、アンは『歓喜の白路』と名付けるのです。
場所でも人でも名前が気にいらないときはいつでも、あたしは新しい名前を考えだして、それを使うのよ。
住民たちが当たり前に享受している自然や生活は、アンには宝石のように美しく感じられるのですね。
彼女のこうした考え方に、小学生の頃とても影響を受けました。
心を動かされるものを探し出そうと、日々チャレンジしていた記憶があります。
また、アンは「美しい、素晴らしい」と感じると、常識から逸脱した行動を取るため、たびたび騒動を起こします。
教会の日曜学校に行く日、アンは自分の服が地味なのが嫌で、「リボンや花の飾りが付いている素敵な服だ」と想像力を働かせます。
そして、道中できんぽうげや野ばらを見つけ、帽子を飾り立てて満足し、教会へ向かいます。
しかし、教会に派手な格好をしていくのは御法度です。
教会に集まった人たちは、アンの場違いな格好に唖然としてしまいます。
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アンの感性によって村の日常が一変する様子がとても面白く、「次はどんなことが起こるのだろう?」とワクワクしながら読み進めました。
感情移入できなかったキャラクター
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子どもの頃、大好きな『赤毛のアン』の中で、どうしても感情移入できないキャラクターがいました。
アンの母親代わりのマリラ・クスバートです。
マリラはアンの言動を奇妙だと感じ、何とか村の慣習に従わせようと厳しく指導します。
彼女が空想したり、色々な名前を付けたりするのをやめさせようとするのです。
一方通行なコミュニケーションを取っていた2人ですが、次第にお互いを理解していきます。
あれほど厳しかったマリラも、アンの味方になり、周囲から何を言われようとも、彼女の考え方を優先するようになるのです。
小学生の時は、この過程を読んで、「マリラがアンの気持ちを分かってくれるようになって良かった」と思っていました。
実は、マリラはアンの考えを理解しながらも、彼女のためにあえて叱ることもあったのですが、当時の私には親心が理解できなかったのです。
マリラの言葉を通して知った母の気持ち
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親と子のすれ違いといえば、私が20代半ばで結婚した時、母との関係が変わってきていました。
私は一人っ子で、大学生までずっと実家で過ごし、母とは友達のようにしゃべったりショッピングしたりする仲でした。
ところが、結婚して引っ越すことが決まり、私は「知らない世界に行ける」と期待に胸を膨らませ、唐突に母から離れてしまったのです。
それ以来、母と意見がぶつかってしまうことがあり、1ヶ月以上連絡しないこともありました。
「せっかく新しい生活が始まるのに、どうして母は怒ってばかりなのだろう」と腹を立てるばかりで、母の気持ちを理解しようとはしませんでした。
母との関係を築き直したいと心を改めたのは、妊娠が分かった時です。
それまで、ひどい態度を取ったにも関わらず、私がつわりで辛い時期に車で送迎してくれるなど、母はたくさん助けてくれました。
体調が悪くてつい頼ってしまいましたが、以前の自分の態度を振り返ると、申し訳ない気持ちになりました。
しかし、何と謝れば良いか分からず、なかなか切り出せず……。
つわりが落ち着いて、何気なく『赤毛のアン』を読み直していたら、マリラの言葉や考え方に注目している自分に気がつきました。
そして、あるシーンのマリラのセリフに激しく心を動かされました。
成長したアンは、クイーン学院に通うため、マリラたちの元を離れて下宿しようと決めます。
アヴォンリーを立つ前に、アンは仕立てたばかりのイブニング・ドレスを着て、マリラたちに暗誦を聞かせます。
すると、マリラは目に涙を浮かべて、次のように語りました。
「ただ、あんたの小さいときのことを思いださずにいられなかっただけなのさ。ずいぶん奇妙なおチビさんだったけれど、いつまでも小さい子でいてくれたらなあと思っていたのだよ。こんなに大きくなって行ってしまうんじゃ、つらいよ。(後略)」
ああ、私の母が感じていたのは、きっとこういうことなんだ。
母は怒っていたのではなく、寂しく思っていたのかもしれない。
マリラのセリフを読んで、ようやく母の気持ちが分かってきたのです。
そして、アンは次のように語りかけます。
「あたしはちっとも変わっていないわ——ほんとに、いつもおなじアンよ。(中略)あたしがどこへ行こうと、外側がどんなに変わろうと、ちっともちがいはないのよ。心はいつでもマリラの小さなアンなのよ。(後略)」
アンの言葉は最大の親孝行だ。そう感じました。
私の子どもはまだお腹の中でしたが、すでに大切な存在に違いなく、その子がいつか自分から離れていくと想像するのは難しくありませんでした。
子どもを育てる立場になったことで、マリラに心から共感し、同時に私の母の心情を知ったのです。
母の元を急に離れた自分を振り返り、なんてひどいことをしたのだろうと涙が溢れました。
友達のように仲良く過ごしていた頃のような関係に戻りたいと願いました。
それからは、母をランチに誘ったり、実家に遊びに行ったりして、できる限り会う機会を作りました。
結婚した後にひどい態度をとってしまったことも、ようやく謝れました。
すると、母との関係が少しずつ回復して、以前よりもっと心の距離が縮まったように感じます。
今では私の娘も加わり、3人で過ごす日も増えました。
娘の話から、私が幼かった頃の話につながり、母娘で昔を懐かしむこともあります。
『赤毛のアン』を通して、母の気持ちに寄り添えるようになりました。
『赤毛のアン』には、村での騒動から、身近な人が病に悩まされるなどの辛い出来事まで、誰もが経験するエピソードが詰まっています。
それぞれのエピソードに共通しているのは、どれほど辛いことがあっても、人々の温かさや愛情が救いとして描かれる点です。
私が母との関係を重ねたように、読者の年齢やターニングポイントに温かく寄り添ってくれる作品だと感じます。
娘が成長した今読み直したら、きっと新たな発見があると思い、さっそく本を開いています。
『赤毛のアン』は私のお気に入りの本であり、人生の友です。
こちらの記事は、私が所属する「Webライターラボ」のコラム企画に参加するため執筆しました。
10月のテーマは「お気に入りの本」。
「もしこの先ずっと一冊の本しか読めないとしたら?」と問われたら、迷わず『赤毛のアン』と答えます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
Discord名:浜田夏実
#Webライターラボ2410コラム企画