【白い巨塔2003】財前と里見が互いに望んだこと【2人で…】
[サムネイルは白い巨塔(2003年版) 第21話より]
⚠️ブロマンス目線のオタクによる個人的な解釈です。また、ネタバレを含みます。⚠️
結論から言うと、
財前は里見と一緒に高い所を目指したかったし、里見は財前と一緒に隣で歩きたかったんだと思います。
財前の「高い所を目指す」という願いは「医師として高みを目指す」という意味もありつつ、
政治的に高い地位を得たいというところも大きいでしょう。
一方で里見の望みはあくまでも現場の医師としてのもの、という違いがあるかと思います。
視覚イメージ的には、財前は縦方向、里見は横方向の願いです。
でも2人とも、その先にある最終的な願いは同じだったと考えています。
「多くの患者を救いたい」
「医療をより良くしたい」
という願いです。
財前の最期の言葉は「2人で……里見……」でした。
財前の本心から出た言葉で間違いないと思います。
しかしそれは財前だけではなく、里見も「2人で……」という想いはあったはずです。
ただ財前と里見は、「2人であるため」のアプローチが決定的に違います。
財前は里見を立派な椅子に座らせたいし、里見は財前を自分の足で歩かせたい。
そうやってお互いをそばにいさせたかったのでしょう。
詳しく掘り下げていきたいと思います。
─財前がやりたかったこと─
財前の場合、最終目的である「医療界を良くして多くの患者を救う」を実現する手段が「医療界で偉くなる」だったのだと思います。
物語前半では国内でもトップレベルの大学病院の助教授として登場します。
財前は野心を抱き、必死に上(教授)を目指し、その地位を勝ち取りました。
この台詞の通り、財前は序盤から教授のその先を見据えているという示唆もありました。
そして物語後半では、世界とも戦える国立の癌医療センターの設立に心血を注ぎ、教授以上の地位とも言えるであろうセンター長に内定していました。
初めてドラマを見た時に、「白い巨塔」とはがんセンターを指しているのか、と思いました。
それはおそらく制作側も狙ってそういう印象を与えようとしたと思います。
がんセンター=白い巨塔 というのはおそらく正しいでしょうが、それだけではありません。
「白い巨塔」というタイトルの意味は、原作小説にて明かされています。
大学病院の性質を表す言葉としてぴったりです。
2003年ドラマ版においては、大学病院、がんセンター、そして医療の世界、全てを内包する言葉が「白い巨塔」なのかもしれません。
財前が目指したのは、そんな「白い巨塔」の頂点なのだと思います。
更に、原作には財前の、以下のような心理描写が存在します。
おそらく2003年版ドラマの財前も、同様の野望は持っていたでしょう。
名誉を求め、野心を抱き、そのためになりふり構わず必死に戦う財前は、実力はあるものの自分のことしか考えていないようにも見えます。
本当にそうなのでしょうか?
私は財前は、大半の人間がそうであるように、利己的な側面と利他的な側面の両方を持つ人物だと考えています。
─財前のルーツ─
財前は幼少期に父を亡くし、岡山の田舎で母と2人で苦労して生きてきたという過去があります。
2003年版ではそこまで深く過去に触れることは無かったのですが、原作など他媒体を見ると
貧しさに苦しんでいた若い日のことを思い出し、もうあの頃には戻らないと決意する、といったような内面描写があります。
2003年版も設定的には同じだと思われます。
2話では部下の柳原から、自身も苦学生だったため同じ境遇の財前に憧れているという話をされます。
良き上司としてアドバイスをした後、柳原がいなくなってから財前が吐き捨てたのは「一緒にするな」という言葉でした。
おそらくですが、財前にとって貧乏時代は触れられたくないコンプレックスなのではないかと思いました。
その一方で、自分に憧れを示す柳原すら内心では見下す様子からは、貧しさを乗り越えて成功したというプライドを感じさせます。
貧しさを経験したことが、財前の人格形成に大きな影響を与えたことは間違いなさそうです。
だからこそ財前は過去をバネに、金も名誉も全てを手に入れるため、偉くなろうと努力してきたのでしょう。
財前家に婿入りしたことで金には困らなくなりました。
義父の又一も言うように、金の次は名誉というわけです。
財前の過剰な野心の大部分は過去の貧しい経験から来ていると思われます。
母のために頑張っていた側面も間違いなくあるでしょうが、母が息子に求めるのはそんなに大きなことではないし、財前自身もそれは分かっていたはずです。
自身の野望のために必死に戦う財前の姿からは、必死さや切迫感を感じます。
上ることをやめたら一気に転落してしまう、そんな「後が無い」とでも言うような切迫感です。
しかし財前は、自分のためだけに野心を追う100%利己的な人間とは描かれていません。
もしそうなら、
里見のような人間は真っ先に切り捨てているはずです。
いくら内科医として有能であっても、財前がただ偉くなりたいだけなら、綺麗事とも言える清廉さで財前の出世街道を邪魔する里見に構う必要は全くありません。
でも財前は何があっても里見との絆を手放そうとしないのです。
執着と言っても差し支えないくらいです。
そこに財前の人間らしい魅力があります。
正しい道から外れてまで偉くなるということは、その過程で孤独になることは避けられません。
しかし財前には孤独に1人で耐える強さは無いのだと思います。
原作のケイ子曰く「内心は淋しがり屋で脆いところがある」。
財前の弱さや脆さは、「良心の捨てきれなさ」から来ているのではないでしょうか。
財前は本当は、里見の正義感や誠実さを好ましく思っていると思います。
そして、それを好ましく思うだけの良心や純粋さも本来持ち合わせているのです。
また、鵜飼が財前と里見について、こんな風に言っていました。
この言葉は様々な解釈が出来ると思いますが、2人が似ているポイントの一つが2人が持つ生来の善性の部分ではないかと思います。
財前が持つ生来の善性については、彼の母親が作中言及していました。
実際には嘘はついていたので、母親の言っていること全てが正しいわけではないのが悲しいところです。しかし幼少期に関する発言から、間違いなく財前は善政を持つ人物だったことが分かります。
しかし財前は野望の達成のために善性は捨てるしかなかったのです。また、無理して捨てたのだと思います。その歪みや葛藤が財前の弱さであり脆さだと。
しかし里見は善性を一切捨てることなく生きることが出来る人物です。
おそらく財前は里見の中に、自分が捨ててしまった(※捨て切れてない)良心を見ています。
だから向き合うことが苦しいし、そしてそれ以上に強く求めるのだと思います。
里見は嘘をつかないから、嘘で塗り固めて戦うしかなかった財前を苦しめ続けました。
でも里見は嘘をつかないから、最終話で皆に嘘をつかれて孤独と絶望に陥る中で、財前は唯一里見を信じて頼ったのです。
医師としての能力だけではなく、人柄も含めて里見という人間を誰よりも高く評価しているのが財前です。
財前が里見との絆を完全に断たれたとしたら、財前は僅かに残されている良心すら全て失ってしまうのかもしれません。
─財前の本当の願いとは─
財前が里見にこう語っていたように、財前は里見もいずれ教授になると思っていた所があります。
というより、「なって欲しかった」んだと思います。
財前は教授になる気満々でしたが、自分だけが偉くなりたかったのではなく、里見と一緒に偉くなりたかったのです。
人の上に立つ孤独を、里見となら分かち合えるという思いもあったかもしれません。
里見は財前が対等だと認めることのできる唯一の人物ですからね。
最も、里見は教授という地位に興味を示すことはありませんでしたが。
里見が大学病院を去ってからは、自身がセンター長に内定したがんセンターの内科部長のポストを里見に用意します。
内科部長というポストがどれほどの地位なのか、私は素人なので分かりませんが、おそらくセンター長に次ぐナンバー2のイメージで良いのでしょう。
(財前が外科部長とセンター長を兼任?)
裁判で対立する立場を取り、財前の人生を台無しにするところだった里見を、財前は何度も執拗にがんセンターに誘います。
がんセンターに賭ける財前の熱意には並々ならぬものがありました。
財前が作り上げようとした「理想の病院」に、里見は不可欠だったのです。
今際の際に夢にまで見るほど、心の底から里見を必要としていたのです。
財前は臨終時のうわ言で「世界は……」という言葉を口にしていました。
ここで言う「世界」とは「医療の世界」と「さらにもっと広い意味での世界」だった可能性があります。
この財前の最期の言葉は、個人的な解釈にはなりますが、
「僕の代わりの人間なんていない。里見と2人で世界を変えたい」
と言いたかったのではないかなと思います。
(接続詞がおかしいですが、意識混濁のうわ言なので支離滅裂なのは仕方ないという判断)
医療の世界を変えて、それによってもっと広く多くの人を救う。
それがつまり、世界を変えるということなのでしょう。
そうだとしたら大きすぎる野望だと思います。
もしかしたら財前は、1人でならそこまで大それたことは考えなかったかもしれません。
1人なら、ただ地位と名誉のみを求めたかもしれません。
里見と一緒なら出来る、里見と一緒だから叶えたいと思ったのかもしれません。
財前が地位や名誉を求め続けたのは、利己的なだけの欲望でもあるでしょうが、結局はその先で里見を手に入れたかったからだと思います。
しかし頑張れば頑張るほど里見は離れていきました。
余計に躍起になって戦うあまりついに身を滅ぼしたのだとしたら、あまりにも悲劇的だと思わざるを得ません。
─里見のルーツ─
里見の場合はもっと地に足がついています。
財前のように上を目指したいとか、自分が偉くなりたいなどという野心はありません。
里見はただ、一人一人の患者と向き合うことを信念としています。
里見の生い立ちや家族構成については2003年版のドラマでは触れられていません。
裏側に原作設定が存在していたとすると、里見は財前と同じく幼くして父親を失っています。
しかし財前と違うのは、里見には年の離れた医者の兄がいるという点です。
実の父親は無くしても、里見には精神的に頼ることの出来る父代わりの立派な兄がいました。
そして、おそらく兄が医者ということもあり金銭的に困窮することも無かったと思われます。
つまり財前の「もう後が無い」という切迫感は里見には無いのです。
育った環境の違いが里見と財前の倫理観や価値観の差に繋がった、とは言い切れませんが
そのような環境が、正義を貫く里見の信念を育んだ側面は否定できません。
そうであるのなら、財前は里見のような人間を嫌ってもおかしくはありません。
しかし実際は、里見に強い執着心を抱いています。
そしてそれは逆も然りです。
財前の方が分かりやすいのでどうしても霞んでしまうのですが、里見もまた財前に強い想いを抱いています。
そのあたりは、以前書いた記事をご参照下さい。
─里見の願い─
序盤で里見は普通の内科医なら見落とす膵臓癌を見つけ出し、財前が手術をすることで1人の患者を救いました。
里見が日頃から上司に「一人一人に時間をかけずにもっと効率よくやれ」とせっつかれる中で、一人一人と地道に向き合い続けた結果です。
この財前とのタッグこそ、里見が最も目指したかったことなのだと思います。
財前にとってもそうでしょうが、財前は現場レベルよりももっとマクロな規模を見据えていたのだと思います。
里見は財前の地位は関係なく、ただ外科医としての財前に深い信頼を寄せています。
だからこそ、財前が地位と名誉を追い求めるあまり人道を外れていくことを悲しく思っていたと思います。
財前は自分が捨てざるを得なかった良心を里見の中に見出していた一方、
里見は財前に良心があることを最後まで信じ続けていたと思います。
里見は若かりし頃の財前について、こう語ったことがありました。
この台詞からは、かつて医師としての理想に燃えていた財前の姿が見えます。
財前は最初から患者を軽視してまで地位や名誉を求めていたわけではなく、医師としての使命感を持っていたのです。
おそらく里見は、それが本来の財前の姿なのだと信じているのでしょう。
これは里見の願いを最も表した台詞です。
里見はただ、医師として最も信頼し合える財前が隣にいてくれれば良かったのです。
そして、それが多くの患者を救うと信じていたのだと思います。
財前と里見、どちらの考えが正しいとか、間違っているということはありません。
組織を変えるならその中で偉くならなければならない、という財前のスタンスも一理あります。
一方で、政治的なゴタゴタに奔走している暇があるなら1人でも多くを救うべきという里見的スタンスも理解できます。
いずれにせよ、
2人とも、利他的な未来のビジョンを抱いていました。
その実現のためにお互いの存在を必要としていました。
パートナーとして歩んでいくことを望んでいました。
互いを誰よりも強く求めていたにも関わらず、
目指すところは同じだったにも関わらず、
方向性の違いからすれ違い続けました。
2人の医師としてのアプローチは、正反対ながら互いに補完的であろうにも関わらず。
そうだとすると、2人の関係性はやはり悲劇なのでしょうか。
─死を前にした財前が里見に託したもの─
財前は里見に手紙を遺しています。
あくまでも医師としての手紙であり、エモーショナルな言葉選びは殆どありませんでした。
しかし、里見への個人的な感情を思わせる供述も確実に存在しており、胸を打たれます。
ここの部分は医師としての激励という域を超えて、自身が叶えられなかった願いを里見に託していると考えられます。
●能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある。君には癌治療の発展に挑んでもらいたい。
財前は、能力の有る者が組織の上に立つことが多くの人を救うと信じているのだと思います。
これまでに財前が求め続けたように、里見に対してその責任を行使するよう改めて要請しているのでしょう。
具体的には、やはりがんセンターの部長ポストに就いて欲しいのでしょう。
たとえ自分がそこにいなくても。
●僕の屍を病理解剖の後、君の研究材料の一石として役立てて欲しい。
財前の願いを最も感じる一文がここになります。
財前は死してもなお、自分の肉体を医療の発展に捧げようとしています。
死してもなお、医者であり続けようとしているのです。
そしてその“パートナー”として里見を指名しています。
命は尽きても、財前は里見と「2人で」歩んでいきたいのでしょう。
この手紙の中で財前は、里見が医療の発展を担う「一翼」となることを望みました。
地に足を付けて一緒に歩きたかった里見とは対照的に、財前は本当は
里見と「両翼」となって「2人で」飛びたかったのだと思います。
白い巨塔の上まで、2人で上って行きたかったのでしょうね。
※DVDの字幕では「一役」となっていますが、唐沢さんの発音的にも文脈的にも「一翼」が正しいと思われます。
─財前亡き後の里見─
この手紙に、里見は何を想ったのでしょうか。
財前の死から数年後を描いた特別編において、変わらずに民間病院で働いている里見の姿がありました。
鵜飼からのがんセンター就任の誘いも断ったそうです。
「財前が生きていても断ったよ」
里見はそう柳原に語りました。
里見の信念は変わっていません。
がんセンターでは、研究対象にならない患者は転院を勧められ、末期患者のうち8割以上が他の病院で死を迎えるそうです。
なので里見は最初から最期までちゃんと患者と関わりたい、途中で患者と離れたくないのだと語ります。
では、財前の最期の願いは届かなかったのでしょうか?
特別編において、財前の屍による研究については言及されていませんでした。
しかし、「屍を君の研究に役立てて欲しい」という財前の願いを断る理由は里見にはありません。
この財前の願いはしっかり叶えたと私は信じています。
また、この特別編において、
「里見はがんセンターの職員と共同で研究をしている」
ということが明かされました。
もしかしたらこの研究というのが財前の屍による研究である可能性もあります。
里見は「がんセンターに就任する」という財前の願いは断ったものの、がんセンター職員と(ひょっとしたら財前の屍の)共同研究を行い、医療の発展に挑んでいます。
里見なりのやり方で、財前の願いを叶え続けています。
(この共同研究が財前の屍に関するものであってもなくても、その結論は変わりません)
もちろん財前の手紙が無くても共同研究はしたでしょうが、財前の願いを背負う気持ちは間違いなくあると思います。
また、里見は財前の生前にがんセンターの内科部長に誘われた際、がんセンターは「最高の病院とは思えない」と存在意義を否定するようなことを言っていました。
しかしこの特別編の中で、「がんセンターが最先端の医療を行っているのは分かっている」と里見は語っています。
その上で里見は今の民間病院を選んでいるのだとも。
どちらの医療も欠かせないものであり、里見自身は後者を選択するものの、がんセンターの意義も認めています。
この心境の変化はどこから来たのでしょうか。
もしかしたら、財前の死と彼の手紙が里見の気持ちを少し変えたのかもしれません。
財前は本気で里見と2人で最高の病院を作ろうとしていた、それがようやく分かったからかもしれません。
もし財前が生きていたら、
最先端の医療に臨む財前と、最先端の医療から零れた者を拾い上げる里見、という両翼で医療界を牽引したかもしれません。
それは財前の望んだ形とは違うかもしれません。
財前の望みの全てを里見が受け入れたわけでもありません。
でも里見は今もどこかで財前の願いを背負い、「2人で」あり続けているのだと思います。
なつめ
白い巨塔(2003年版)は現在FODでのみ配信中。(上記リンクより)
以前書いた財前と里見の記事です↓