子どもに冷たいと感じるこの国の背景
昨日Xを見ていると、空席の多い時間帯に電車内で子どもと親が乗車し、子どもが靴を脱いでシートに上がっている写真と共に、「なぜ親は子どもを注意しないんだ?」という主旨の投稿している方がいた。
席にはかなりゆとりがあり、子どもはちゃんと靴を脱いでシートに上がり、車窓をまったり楽しんでいる様子。子どもが何かに集中してくれている時間は、親にとっても罪悪感のない小休憩時間だと思う。
もしその写真をみて少しでも投稿者と同じくイラッモヤッとした方。
その感情の出どころがどこなのか、考えてみてほしい。
①お行儀悪い。親が注意しないなんて。私の時代は、子どものしつけは親の責任と言われて、親である私はいつも肩身が狭かった。
②子どもがいて幸せ(勝ち組)なくせに。
③子どもはいいよな。自由で悩みもなくて、幸せそうで。わたしは今日もこんなに疲れている。何も幸せなことなんてない。
④ぼく、わたしが子どもの時は、親が厳しくてこんなことは許されなかった。
⑤急停車したら子どもが危ない。親は注意すべき。
⑤に関しては、まあ電車って吊り革持って立って乗車できる乗り物なので、賛否あるだろうが、子の安否を気にする感情で優しさがある。
それ以外の4つ。
多分ほとんど分別なく、なんとなくイラッの部類に入ると思う。
これ、「今」満たされていない国民感情が、ただ消費するだけで生きることを許されるモラトリアム期間の子どもに向いているだけだと思うんです。
もしくは、自分の子育て時代が不幸で、当時の辛さを今も引きずっているか。どちらか。
大人の日々の暮らしが、貧しく、未来は明るくなく、大変で、理不尽なのは、子どもたちのせいじゃないのに。
あなたが感じた怒りは、この国が作り出した昭和から続く日本のネガティブな国民性の一面のせい。そして、なんとなく毎日が不幸な理由って、突き詰めると政治の責任であることが多いんですよね。
もっと自分の感情の解像度を高めていこう。
みんなが不幸を感じながら生きる国にしてはいけない。
今不幸な人たちは、どうしたら自分は幸せになれるのか、なぜ不幸に感じるのか、突き詰めてみよう。
無邪気で能天気な子どもをみてイラッとする感情の出どころはどこなのか、落ち着いて考えてみよう。