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さようならザーキル・フセイン ジー

高校生の時分には色んなジャンルの音楽を雑多に聴いていたが、そんな中当時のソラリア天神にあったタワーレコードで買った「インド超絶のリズム」が全ての始まりだった。

物凄く複雑な構成で色んな音が奏でられてて、パーカッションにもこんなことができるんだ!という思いと、これは3人くらいの編成かな、というのが最初の感想。ところが裏面のクレジットを見ると、まぁタブラという楽器らしいということは分かったが、演者は一人しか記載されていない。もしかしてこれ一人でやってんの?とゾッとしたが、そこにあった"zakir hussain"という名前が強烈に記憶に残った。

アルバムの中でも「Ek tal」という12拍のリズム、またザーキル氏がタブラについて英語で解説しながら叩いてくれる「Tabla Demonstration」というトラックは、これから叩くフレーズを口で言う(ボルと言います)不思議さも楽しくて、何度も何度も聞き返した。

ちなみに当時の日本語表記はザキール・フセインだったと思いますが、2022年に京都賞を受賞された時には、ザーキル・フセインになってました。ヒンディー表記だと जाकिर हुसैन なのでザーキル・フセインが元の発音に近いようですね。

何気なく買ったこのCDがほんとに凄かった

それまでドラムとかジャンベとかを独学でやってた自分も「タブラをやってみたい!」と強く思ったが、調べるとタブラにはどうもテキスト本や楽譜のようなものはないらしい。先生に直接習うのでなければ習得は難しいということだったが、福岡には先生がおらず、私のタブラへの思いも徐々に消退していった。東京から定期的に福岡にきてタブラを教えて下さる方もいらっしゃったようだが、移動費等も余計にかかるであろう分、学生にはちょっと厳しい価格だったので断念した。

その後私も就職し、折に触れて「私はもう一生タブラを触らずに死ぬのかな」などとくよくよ考えていたのだが、2016年の夏、渋谷にWWWXという大きめの箱ができて、そのオープニングアクトでザーキル・フセイン氏が来日されるというではありませんか!チケット代は10,000円くらいしたが、そこはやや懐に余裕のある社会人のこと、すぐにチケットと航空便、ホテルを押さえて、太宰府市から遠路はるばる東京は渋谷まで観に行きました。

ザーキル氏は薄暗いステージに音も立てずに現れたかと思うと、静かに座し、一言も喋らずに(挨拶くらいはしたかも)いきなり叩き出し、軽快なビートはやがて火の出るようなスピードに。胡坐をかいて座した手元から繰り出されるグルーヴは、見た目の座禅を組んでいるような静けさと、聞こえてくる激しいグルーヴのコントラストに理解が追い付かず、さながら魔術のようだった。誇張でなしに、ものすごく早いスピードで叩いているのに、私の所からは手が静止しているようにしか見えなかった。

これだ!まだHPに残ってました


小一時間も経った頃だろうか、聴衆も真剣にじっと聴き入っていたところ、やおらザーキル氏は喋り出した。
曰く、「これは宇宙のようなものだ」と。…どゆこと?と皆が首を傾げていると、彼は続けた。「金星は太陽の近くをゆっくり周る。地球はそれよりもやや速く、木星はこれくらい、海王星はもっと速く!そして、それらが一つの太陽系を成す。」(うろ覚えの意訳)彼の言葉に合わせてタブラのフレーズも遅く、また速くなり、最終的には緩急入り混じった美しいフレーズとなり、それを聴いた聴衆は両手を挙げ、会場にはウォーッ!!と熱狂的な歓声が谺した。
次に彼が口にしたのは、ムンバイの話だった。曰く、「ムンバイには大きな道がある。バスはノロノロと走り、リキシャーはもう少し速く。その間を犬が駆け抜け、ネズミは縦横無尽に走り回る。」もうお分かりかと思うが、これもタブラの自在なフレーズに合わせて述べられ、聴衆はやはり諸手を挙げてのウォーッ!!!!であった。

何も知らない人が傍から見ればちょっと理解に苦しむ光景だったかもしれないが、あのザーキル氏の演奏とトークでフロア全体が熱狂的に盛り上がったことは、とても強く心に残っていて、あの夜は私にとってとても美しく、大切な思い出として胸に刻まれている。

ちなみに終演後、皆がやけにザーキル氏がステージに残していったタブラの写真を撮っているな、と思っていたら、タブラにカバーをかけてお片付けされているのがU-zhaan氏でした。


その後、私は30歳も過ぎた頃に仕事で3年間だけ東京に赴任することになり、これをきっかけにタブラの素晴らしい師に出会うことができ、高校生の頃からするとおよそ17年越しに、ようやくタブラに取り組むことができました。
今は、とにかくタブラを叩いている時間が楽しくて仕方ないです。あの時何気なく買ったCDでザーキル氏に教えてもらえたタブラのことを、忘れないで思い続けていてほんとうによかったと、心から思います。

スタートはやや遅れましたが、ずっとタブラやってます

高校生の頃に私をタブラに引き寄せてくれて、ずっと演奏を聴いてきたザーキル氏がいなくなってしまったことは、とてもとても寂しい。しかしながら北インド古典音楽において私が学んだ最も大きな点は、このとてつもない演奏技術が、どの時代においても必ず人から人へ、対面で直接的に何百年も受け継がれてきたものだということ。ザーキル氏も彼のお父さんのアラ・ラカ氏から受け継いだものを、彼なりにひとつ先の場所まで辿り着かせて、それをまた彼のお弟子さんたちに余すことなく伝えてくれたのだと思う。
そして私もまた、私に果たしてどれだけできるか分からないが、私の師がその師から受け継いだものを、できるだけ大切に受け取って、また次の誰かに伝えていきたいと思う。北インド古典音楽に本当に人生をかけて取り組まれている方達からしたら、私の取り組みなんてほんの小さなものかもしれないが、そんな私でもこういった心持ちにならざるを得ない程、大切に大切に紡がれてきたものが、北インド古典音楽にはあると思う。

それは私の知る限り、この世界で何よりも美しい営みの一つであると思うし、私も、その末席の末席に僅かばかりでも携わることができたことは、ほんとうに幸せなことです。

ザーキル・フセイン  ジー、本当にありがとうございました。


ありがとうございました


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