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Wiliam Basinski "Japan Show 2022"@WWW

昔からとても好きだったWiliam Basinskiが来日公演との由、喜び勇んでチケットを買ったのだが、如何せん彼の人となりをよく知らない上に、彼の音楽は余りライブ向きでないことも気にかかった。

Wiliam Basinskiは一体どんなライブをするのか?


というのも、彼の音楽は非常に長尺で、代表作の"the disintegration loops"なんかはCDで実に4枚という大作の組曲もの。組曲と言ってよいのか分からないが、同じようなフレーズが延々とモコモコとした音響効果の元で鳴り響く、という非常に眠たくなる代物。しかしこの鳴り響きが得も言われぬ激烈に切ない美しさで、ずっと耽っていたくなる。


なんでも彼の作品は、20年ほど前に作成していたまま忘れられていた自作品のアナログテープをデータ化していたら、長年の月日によってテープが劣化しており、メロディと共にテープが目の前で物理的に崩壊していくのを目の当たりにして、それをヒントに作品にしたものらしい。前述の大作のボックスセットにはDVDが付いていたが、これは彼のこの音楽に、9.11で貿易センタービルが倒壊して粉塵たなめくNYの夕暮れを、ただただ映し出した映像作品。たまにこういうタマらない気持ちにさせるMVって、ありますよね。Aphex Twinの"Xtal"とか。


音楽というものは時間芸術であり、始まった時点で終わりを運命付けられている、という点では、我々のような生き物と同じなのではないかと思う。そもそも音楽とはどこに存在するのか?この音を聞いたときには前の音はもう存在しておらず(あるいは残響のみとして存在して)、かといって我々は音の連なりを認識するのでなければそれをメロディとして認識することはない。散々手垢がついた話ではあるが、音楽とはそれに触れる人それぞれの頭の中、その音楽を聞いてきたという記憶と、現在鳴っている音を認識する意識とのあわいにしか存在しないのだ。

そして美しいメロディは、その音の連なりを明確に思い出すことができなくなったとしても、その暖かな、あるいは煌めく感触を我々の裡に残すだろう。


一方で、我々の人生というものも、同じようなものではないのか。今この瞬間だけでは人生とは言えず、この瞬間に至るまでの、自らの意識が統覚する連なり、その記憶こそが、自分の人生だと言えるのではないか。それぞれの美しい瞬間は最早今ここには存在しないし、それはとても寂しいことだけれど、その暖かい感触は、いつまでも我々の裡に残り、現在の我々を形づくるのだろう。

そして、そんな瞬間を一緒に過ごした人達もいなくなり、やがては自分自身もいなくなる。


Wiliam Basinskiの音楽を聴くと、そんなことを強烈に意識せずにはいられない。我々がいつか存在しなくなること。また音楽がいざ始まると、それはもう終わるしかないこと。この2つの物悲しい事実を、劣化したアナログテープという物質を媒介に、合わせ鏡のようにこの世界に現前させている作品。

"the disintegration loops"は終盤にさしかかると、ただただぼんやりした響きだけになってしまうが、我々が生きるよすがにしている人生という物語の構成要素も、案外こういった暖かい残響なのではないかと思う。


さて、ここからは実際にライブに行っての感想だが、実際に見てみると、William Basinskiはファンシーでギラギラなかわいいおじいちゃんでした!!
スパンコールで煌びやかにセクシーなスーツに、最近買ったというピカピカ光るという「ジギー・ブーツ」(わざわざステージ前に出てきて裾をめくって見せてくれた)、インナーはこれまたジギー・スターダストのタンクトップ!!

なんかエッチな感じでした

音源も音の変遷がコンパクトにまとめられた上にメリハリがついた、というか最早ノイズのような響きまでバキバキに入った美しく且つアグレッシブなトラックになっていて、自分でちねちね作ったトラックだろうにきちんと音に合わせて身悶えしてみせたりしてくれているのを見てると、サービス精神の旺盛な素敵な人なんだな、と心から思いました。

ライブ終わりにはステージ上の端から順番にオーディエンスにハイタッチや握手をしてくれて、ライブに同行するまで彼を全然知らなかった妻も魅了されたようで大変喜んでいて、観に行って本当に良かった。私も勿論、生Basinskiと握手させて頂きました。ありがとうございました。一生の思い出です。

これからも、彼が好きな人々と健やかに幸せに生きて、また幾つかの作品を発表してくれることを、心から願いたい。


終演後のアンコールがこれまた秀逸で、「メランコリア」というアルバムからのアンパブリッシュドなバージョンのトラックと言っていたが、またもや物悲しく美しいメロディが流れ始めると、Basinski本人は退場。

誰もいなくなったステージで、しずしずと廻り続けるオープンリールにスポットライトが当たり、ただただほの暖かいメロディが虚無の空間に木霊する様を前にしていると、自分の人生にもあった美しい瞬間を思い出さずにはいられなかった。


子供の頃の、幸せなことだけで充溢していたあの時。もういなくなってしまった、祖母や叔母との思い出。
そして、今一緒にいる大好きな人が、いつかはいなくなってしまうこと。

それらの記憶も、やがては忘却の満ち潮に呑み込まれ、ただただ暖かい反響のみになってしまうのだろう。もしも私の人生に何か意味があるとすれば、私の周りに存在するその響きを、ただただ愛おしむことだけだと私は思う。

彼の音楽は、いつも私にそのことを思い起こさせる。


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