凍っていた街は曙光で溶け、水面に沈む。「曙光」について話したい!
自分だけの景色が欲しい。他の誰もが知り得ない、私だけの景色。どこか鬱々とした毎日を忘れられる時間を、場所を求めている。私にはまだそのようなものがないからだ。
私の以前の記事、"CASTLE"についての記事で少し語った曲、「曙光」について今日は話したい。
「曙光」という楽曲は、現在Diosのボーカルとして活躍しているたなか氏の前職であるぼくのりりっくのぼうよみ(以下ではぼくりり)のラストアルバム「没落」に収録されている一曲である。
一聴すれば一本の映画を見たような感覚にもなるので、まだ聴いていない方はこの記事を閉じてサブスクでもなんでも聴いてみて欲しい。印象に残ることは間違いない。
明け方だ。まだ冷たい空気を感じる中、目の前には海が広がっている。明け方なのでまだ空は暗い。
ここには誰もいない。街はずっと変わらない。私だけのための街でもない。でもそこにあったのはいつも見ている、人がたくさんいる生きた街ではなく、ただ静寂を貫く街だった。それは寂しさ、不安すらも感じられるものであるが、それを感じることのできるのは、私だけだった。
ここはみなとみらいの海。神奈川出身の彼は、学生の頃の早朝に、よくここに行っていたそう。この場所こそがこの曲のモデルである。
凍った街はもうここにはない。曙光が差して人間が活動を始めたからだ。黙っていた街はしきりに元の姿を取り戻す。見ない振りでごまかしても、呼吸を再開した街はもう私のものではない。
ここからはかなり個人的な解釈になってくるので、この解釈は違うと思ったらぜひコメントでお願いします🙇♂️
硬質な世界である、凍った街。そこだけが私の居場所だったのに、街は溶けていき、止まない人の気配、なにもない鬱々しい日々を過ごす私とは反対に、怒りや喜び、豊かな感情が舞う街が今日も始まってしまう。下らない悩みではあるが、学生時代の悩みは些細なことでも、脳を支配してしまう。
感情の陸が怖い私は、プールに潜り、息を潜めている。もう酸素はない。感情のない、誰もいない曙光の時間だけが、酸素を吸うことを許される時間なのである....
はじめは、そんな場所が自分の中にあるぼくりりが羨ましいと思った。でも自分の生活では、プールに潜る必要も、曙光を待ち望む必要もない。鬱々しくはある日常にも、美しさを見出そうとなんとかもがいてみているからだ。だから、感情の陸でもう少し暮らしていきたい。でもいつか苦しくなった時は、みなとみらいで彼のように曙光を拝もうと思う。
ぼくりりの考えていたことが分かるわけでもないが、他の曲に比べてこの曲の歌詞には一段と美しさを感じる。だからこの曲が1番好きだ。
最近の前を向いてひたすら疾走したり、ガソリンを注入しまくったりしているたなか氏ももちろん好きだが、どこか諦観した様子の彼も好きなので、またこういう曲も出して欲しい。というひとりごと