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電子の津波

ペーパーレスの波が押し寄せてくる。通販サイトで本を買おうとしてもデフォルトは電子書籍だったり、職場でも今まで紙で提出だったものがタブレット端末への入力に変わったり。ここ2年くらいで身の回りでも波に飲まれ、溺れかけている事柄が散見されるようになってきた。

もちろん、そうなるだけの良さがある。手軽、かさばらない、木を切る事も無いから環境にも優しい。紙文化にとって荒波過ぎる。そのうち全部飲み込んで完全ペーパーレスになっても不思議じゃないし、世の中そういう方向に向かうのだろう。実際紙に特別思い入れが無ければデジタルの方が便利だしね。

これだけ完璧だとケチを付けたくなるのが人間の性ってやつですよね。

全て記録が全てデジタルになってしまったら、技術の進歩に合わせて互換性が問題になる。紙なら残ってさえいれば読める。でもデータは違う。実際、フロッピーディスクとか、MDとかの記憶装置は虫の息だし。

役目を終えた記憶装置からは残すデータと捨てるデータを選り分ける必要が出てくる。捨てられたデータは倉庫の奥から記憶装置が出てきても、互換性のあるハードが無ければ中身は分からない。それが遠い未来での歴史的発見だったとしても。

江戸時代の農民の日記とか、蔵から出てきて歴史資料になったりするじゃん。当時の文化や生活を知るための物として。そういうのが無くなる。修道院の書庫に眠っていて、偶然発見された未知の暗号で書かれた謎の手記とか、メモ紙に書かれためちゃくちゃ難しい数学の証明とかも無くなる。記憶装置の死期に生きる人達にとっては大事じゃないデータだから。

大体の人がおじいちゃんの日記とかデジタル化して保存しないでしょ。今はまだ紙だから残るけど、完全にペーパーレスになってしまったら、めちゃくちゃ面白い日記でも記憶装置が死んだ時点で二度と発見されなくなる。そして技術の進歩の速度が上がれば記憶装置の寿命も短くなる。

数百年後とかに使われなくなって大量に廃棄されたUSBとかが見つかった時、どういう物なのか分からなくて、祭事用の道具とか言われたりするんだよきっと。

電子の津波に引き摺り込まれて、何気ない記録は跡形もなく消えてしまうんだよ。

 

ところで、なんでペーパーレス謳っといて始末書だけは頑なに紙なの?

後世に恥を残そうとすな。忘れろ。消せ。




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