阿呆の性だ
久しぶりに。
踊る阿呆に見る阿呆なんて言葉がありますが、ハロウィンのコスプレ集団、これは踊る阿呆という事になるでしょうね。
神無月の終わりの1日に魑魅魍魎が跋扈する、単なる偶然と言うのも何だか勿体ない気がします。
さて、踊る阿呆の魑魅魍魎共、何かと批判されがちですが、踊るのにも才能が必要な訳で。
物事を楽しむ才能とでも言いましょうか。
日常を忘れて非日常に身を委ねる。昔で言うところの祭ですね。
昔の祭なんていうと神事の1つでもありました。
神事ですから、ほとんど住民総出で行う物で、好き嫌いは差し置いて、ほぼ確実に非日常に巻き込まれるもの。
これが現在になると非日常への参加は選択制に変わってしまっている。しかも、新しい祭が次々出てくる。
踊る阿呆になるのか、見る阿呆になるのか、その度に自分で選ぶ事になる。
踊る阿呆を選べる人達はどの祭でも踊る阿呆をきっと選ぶ。最後の○○ではしゃいでた人達は翌年には最初の○○って2年連続ではしゃいでいる。
奴らは非日常を作り出して楽しむ才能がある。
見る阿呆には、これが無い。
「踊るのは会社の会議だけで充分」とか思いながら、見る阿呆に甘んじて、あまつさえこんな文書を書き連ねる。
終いには他力本願で何か楽しい非日常が起こらないかと考え出す。悲しき阿呆の性。
なんて救えない生き物でしょうか、神様何とかしてください。聞いてますか?
そういえば神無月だった。