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水戸ホーリーホック2024シーズン

水戸ホーリーホックで取締役GMをしている
西村です。長い文章なので、時間がある時に読んで頂けたらと。

まずは今シーズン、残留争い、監督交代、
ハラハラ、ドキドキさせる不安なシーズンにさせてしまったことを申し訳なく思う。
30周年という記念すべきシーズンに意気込んで臨んだものの、当初描いたものとは、程遠いシーズンになってしまった。悔しいし、不甲斐ないし、重ね重ねになりますが、本当に申し訳ありませんでした。

久々の発信になりますが、成績が出ていない時は、自分の精神状態も含めて当然、平時の時とは違い、ピリピリしてくるものである。
ひとつ、ひとつの決断に集中するために
勝つために、チームを浮上させるために、
必要な情報収集だけに注力し、
内部の者との議論を徹底し、最後は自分の内側に意識を向けて、答えを出していく。

もうひとつお伝えしておくと、どのくらいの
時期だったかはもう忘れてしまったが、
X(旧Twitter)において、身に覚えのない発信があったこともあり、休止してカスタマーサービス等にメッセージしながら原因を究明していたところ、途中で1ケ月を過ぎてしまい、アカウントを喪失してしまいました。決して、外部との繋がりを意図的に遮断したわけではまったくなかったのですが、自分の発信云々など後回しにしてでも、しなくてはならない事が次から次へと起き続けていた事もあり、結果的に内側と向き合い続けることとなり、今に至りました。
なので、最近は、Xに限ってですが、ファン、サポーターの皆さん、選手のみんな、サッカー界の動向などのX界隈からの情報とはだいぶ疎遠となりました。

2024シーズンの振り返りをすると、
様々な事があったが、時系列でいくと、
1番目に起きた大きな出来事は、やはり
監督交代である。


水戸ホーリーホックは30年の歴史の中でシーズン途中の監督交代は3度目。相対的に見ても少ない数と言える。とても稀な事であり、誰も望まないことではあるが、その数少ない出来事が今季起きてしまった。自分も30年の歴史の中で、9年間チーム作りに携わらせてもらっているが、初めての決断となった。
監督交代はフットボールの責任を担うGM(SD、強化部長も含む)が行使できる権利であるが、当然のことながらそのカードは極力使わずに、好転をはかりたいと思うものである。
J2リーグでは今季20チーム中、6つのクラブで監督が交代した(群馬、鹿児島、栃木、甲府、徳島、水戸)
ちなみにJ1は4つ(鹿島、浦和、鳥栖、横浜FM)、J3も4つ(奈良、岩手、岐阜、相模原)
である。今季から各カテゴリーのクラブの数が変わり、降格の数も増え、その判断のシビアさには、拍車がかかったと言えるのではないだろうか。計算では5つに1つ以上のクラブがそれを行うこととなる。もちろん単純な確率論で語ることはできないが、ファクトとしては、そのようになる。
水戸ホーリーホックがなぜそのような状況に
これまであまりならず、でも今季そうなったのかは、競争が激化する外部環境の変化と共に、内側に目を向ければ私の方針が影響したと言わざる負えない。
それは、すでに2018年から始まっていたのだが、問題はなかなか顕在化しなかった。
2018年と言えば、今をときめく時の人(監督)となりつつある長谷部さんが就任したシーズンではあったが、過去最高の10位という成果をあげたシーズンだった。さらに翌年はプレーオフ争いを最終節まで演じ、7位の好成績をおさめてくれた。続いて秋葉監督も2020年は9位、2021年10位と安定した戦いを披露し、2021年には5人の選手をJ1に送ってみせた。2022年こそ13位だったが、水戸ホーリーホックとしては、自分が強化を任されてからの2016-2022シーズンまでは比較的安定的な時間を過ごせていたのだったと今は思う。
した事と、しなかった事は当たり前だが、
比べる事はできないのだが、今振り返れば、
「どうやら、あの時のこのあたりのシナリオを作り始めたところが違っていたのかも知れしれない」ということにあたりをつけれるようになってきた。
目的は、外側に原因を見つけることではなく、なぜその判断に自分は至ったのかというように、矢印をこちらに向ける事である。
昨季、今季の低迷に影響を与えたことは何だったか、どんな事を加えたらそうならずに、済むことの確率があがったのか?
気付いたこと、感じたこと、見つけたことは
自分はもちろん、他の者にもしっかり
整理し、共有していきたいと思う。

2番目に起きた大きな出来事と言えば、
本間幸司の引退である。


自分はこの9年間ずっと彼との契約交渉を重ねてきたが、いつかは来ると思っていた出来事がついにやってきてしまった。
時期の明言は避けるが、毎年彼とはシーズン途中に、じっくり話す機会を持っていた。
話す内容はその時によって違うが、今回はそのタイミングで彼から「引退」についての話があった。
間は省くが、「引退」を自分で決めることができるのは、本当にごく一部の選手だけである。
引退を聞いた時にはもちろん様々なことは思ったものの、限られたほんの一部の人しかできない終え方に結果的になったのは、
やはり本間幸司はサッカー界の中で、そのような存在だったということだろう。
彼の引退を労うコメントをした方々の面々を
見ればそれが物語られている。
どちらにしても、このJ2の出場記録を作った
偉大なレジェンドは引退を決断した。
つまりはひとつの時代が終わったと
いうこと。本人も、チームも来季からは新たなスタートを切ることになる。

3番目の大きな出来事は、12月中旬に起きた
樹森大介へのJ1新潟からの監督のオファーで
ある。


クラブ強化の立場として9年というのは決して短い方ではないが、おそらく20年、30年という括りにしても、なかなかないことが起きたという印象である。引き抜きという出来事には良いか、悪いかわからないが、少し慣れてきていたものの、今回はさすがに驚いた。
何が正しい方向かは大概において、瞬時に
わかるようになってきていたが、
今回ばかりは簡単には見つからなかったと
いうのが本音。
一通りの利害関係者に連絡をとって、様々な
観点からこの出来事を捉え直し、自分の頭の中でも、短期間の中で2周、3周、4周くらいしたあたりから、やはりこれはなかなか凄いことが起きたのだということが認識できてきた。
また先方の当事者である新潟の強化部長の寺川さんと短い期間の中で、何度も話し、
その信念、決意、覚悟を聞かされ、
同時に本当の当事者の樹森、
こちら側の当事者の森監督とも
同時に話しながら、非常に短時間の中で、
少しずつ少しずつ、方向性を見つけ
出していった。
短い時間で決着をつけないといけない理由は、もし離れることの方向性に傾くなら、我々にもその後の時間が必要だし、じっくり時間をかけることは、すべての立場の人の時間と機会が
奪われていくことに繋がるからだ。
とはいえ、本当の当事者の樹森はとても、
とても驚いていたし、最初は悩んでいたし、
本当に、本当に迷っていた。
先程も話したように、大概のことは、それなりの想像の範疇の中で起こるので、心のどこかでは、しっかり準備し捉えられものである。
まさしく今回は、本人も、我々も、想像すらできなかった範疇のことが現実となったのだ。
しかしながら、時間が経っていくと、
この出来事の背景にはとても「意義深い」ものが浮き彫りになっていった。
それは「未経験の育成指導歴の長い指導者」というプロフィリングに対する、
抜擢、登用という事実である。
しかも下部カテゴリーに属したプロの世界では経験が浅い指導者に対してオファーだ。
樹森大介はJリーグにおいてプロサッカー選手歴より、プロサッカークラブの育成指導歴の方が長い指導者である。
もう少し詳しく伝えると水戸の育成においてのフィロソフィーを作り、スタイルを作り、所属する組織に長きにわたって(10年間)身を捧げ、想いを持って従事してきた者だ。
水戸にとっても彼を大切にするということは、どういうことかを様々な角度から考えた。
またアルビレックス新潟、寺川さんの今回の
決断、その信念は、間違いなく、日本サッカーの指導者界においては良い事だ。
松橋監督退任のリリース後、
「新潟、監督どうするのかな〜」って、
呑気に考えていたのも、束の間。
その後は先ほどの通りだが、
「意義深い」ものと共に、我々の地域にある、
「国家的視野」という思想も相まって
途中からはこれは、樹森のためにも、
水戸ホーリーホックの未来のためにも、
日本サッカー界の未来ためにも、実現させるべきだという考えに変わっていった。
相応の話は新潟さんにはさせてもらったが、
お互いの考えは途中からは同じ方向
だったので、答えはすぐに見つけられた。
あえて、先ほど自分がアルビレックス新潟の
為と、書かなかったのは、そんな簡単に
他のクラブの強化担当がそのクラブについて
論じるべきではないと思うし、どんな結果に
なるかによって、表層的な捉え方は変わって
きてしまうからだ。
とはいえ、樹森大介という指導者のサッカーに対する姿勢は、信頼に値するものであるということは、近くで彼を評価する立場にあった自分からはお伝えさせてもらいます。
どんな結果になっても、このプロセスには
とても大きい意義があるということを、
結果が出る前の今にしっかり記して
おきたいと思う。
勝てば官軍、負ければ閥軍とは言うものの、
この業界の中にいる者からすると、それでは
何も積み上げられない事も、何度か見てきた。
勝てばすべてが成功、負けたらすべてが失敗という風にとられてしまう、現代の傾向には疑問を感じざるおえない。
すべての批判性を批判しているわけではないという前置きをしつつ、とはいえだ。
情報収集において、SNSが席巻し、
それによって顕著に表れる傾向として、
サイレントマジョリティより、
ノイジーマイノリティに
侵食されそうになる現代。
上潮の時にはよいが、ダウントレンドになった時に、ギリギリまで待ちづらくなるし、
悪い結果の捉え方をどうしても、必要以上に
ネガティブにさせる。
それは、次の挑戦の機会を遠ざけ、
停滞を生み、必要以上に時間だけが過ぎていく事に時として繋がる。
結果だけではなく、そのプロセスにある信念
こそが、本質に近づくのだと自分は思う。
樹森監督の就任会見で何度も使われた「成長」という言葉。その先に「勝利」と「成功」があるんだよね。
「そうでしょ、樹森」
「成長」の対象になるのは、選手であり、チームであり、クラブであり、ファン、サポーター、スポンサー、メディアを含めた、その他多くの関係者もそこに含まれる。その皆が、「成長」をした時に、日本サッカーの成長、発展があり、日本にサッカー文化が根付くことになるのかもしれない。
そうなることを願ってやまない。
どんな結果になっても、今回の新潟の決断は、
とても、重要で、意義深いものであり、
この業界への一石ともとれる決断であったのではと。それを当事者の1人として、
このタイミングでお伝えしておきたい。

当事者でありながら、他のクラブのビックニュースで終わるのも何なんで、最後はこちらの内容で締めくくりたいと思う。


1番目の出来事に起因して、誕生した監督、
森 直樹については、自分が強化に関わるようになった9年間の中でも、とても、とても、大きな出来事であったことはここに記しておきたいと思う。多くはここでは語らないがそれが証明されていくのは、まさしく「これから」である。
同時に2番目に起きた大きな出来事の、
本間幸司のこれからの役割と、
これからの活躍にも、
大いに期待してもらいたい。
長い、長い、文章を読んで頂きありがとうございました。
また今シーズンも多大なるご支援、ご声援、
本当にありがとうございました。
この2年で失ったものを来季は必ず取り戻す。
2025シーズンの水戸ホーリーホックを引き続きよろしくお願い致します。

水戸ホーリーホックGM
西村


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