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【俺の話は長い】4年小林祐喜


こんにちは。今回のブログを担当します、4年の小林祐喜です。タイトルを見て、生田斗真が主演を務めていたドラマを思い出した人もいるかと思います。でも、私はそのドラマを見ていないので、ドラマの内容とは全く関係ありません。
ただ、話が長くなってしまいそうなので、ちょうどいいなと思っただけです。
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引退を前に何を書こうか迷いながら、また1日が終わっていきます。折角なら、誰かの心に刺さるような文章を!と思いましたが、そんなのはいつまで経っても書けなさそうなので、今ある想いを4年間を振り返りながら書いていきます。と言いつつ、まだ頭のどこかでかっこいい文章を求めています。こう見えて意外と見栄っ張りなんでしょうね。表だけはしっかりしておきたいというか、、、
こんなこと書いてるから、話が長くなるんだろ。そう思った皆さん、その通りです。失礼しました!
まとまりのない文章になるかもしれません。一部だけでも読んでいただけたら幸いです。
感想なんかくれたらもっと嬉しいですよね笑

では、行きましょう!本題です!



『ここは日本体育大学』

高校でサッカーを辞めるという選択をする人が周りにもいる中で、そんなことは頭に一切なかった私はこの日本体育大学に進学をした。強豪校に所属していたわけではない、サッカーの才能に秀でたわけでもない、そんな私にとってこれは大きな挑戦であった。

周りには全国からスポーツマンが集まり、充実した施設に囲まれたこの上ない環境を目の当たりにし、私には大きな衝撃が走った。こんなところで4年間を過ごせるのか。少しの不安と「ここに来たからには、言い訳はできない。やるしかない」という多方面への期待感を胸に勝負の4年間が始まった。
それとともに日体のインペルダウン、健志台合宿寮に入寮し、初めての寮生活もスタートした。
この健寮には2年間住ませてもらったが、良くも悪くもたくさんの思い出がある。人で溢れかえる食堂も、汗まみれの男たちが集う大浴場も、窮屈な4人部屋も。他にもここでは言えないようなものを含めたくさんの思い出がある。全て良い経験だったということにしておこう。そんな健寮も新しく建て替わるみたいだ。ありがとう、健寮。



『理想と現実』

「やるしかない」と意気込んだものの、そう簡単にはいかない。この4年間を振り返れば、上手くいったことの方が少ないだろう。失敗が続き、自分に嫌気がさした事も数えきれない。1年生の頃は、練習に食らいつくので必死になり、毎日を懸命に生きるので精一杯、2年生では想像もしていなかったコロナ禍となり、活動再開したはいいものの、2ヶ月半後には足首を怪我し、人生で初めての手術をした。その後、ピッチ外での問題も重なり、結局サッカーをしたのは3ヶ月のみ。3年生では、2年生の時のサッカーを出来ない期間の色々な体験から、考え方を広げたり、物事に対して深く考えたこともあり、少し余裕が作れるようになり始めた。そこには単純にサッカーをすることが楽しいという日常があり、実りのあるシーズンだった。しかし、最後に大失速をし、かなり悔しい想いをした。3年生も上手くいったとは言い切れない。

でも、そんな日々でも気がつけたことがある。

「苦しい中でもがくからこそ、より成長ができるし、辛い時期があるからこそ、より幸せを感じれるのだ」

誰もがそれを当たり前に感じるかもしれないが、この4年間で何度も身をもって経験できたことは大きな財産だと思っている。



『筋トレは現実逃避』

一つ前のところで、少しカッコつけたようなことを言ったが、私はそんなに強い人間ではない。
練習中にミスを連発する自分を受け止めきれず、周りの目も気にして、逃げ出したいという日もあった。でも、私は逃げなかった。いや、違う。真後ろに向かって逃げる勇気が無かった。そんな中で私の心の拠り所になったのは「筋トレ」だった。

「筋肉は裏切らない」

とはよく言ったものだ。チームスポーツであるサッカーとは異なり、筋トレは単純に個の部分である。周りに干渉されることもなければ、周囲の視線を気にする必要もない。ただ鏡に映る自分と向き合えば良い。それに、しっかりとコツコツ取り組めば筋肉は反応を見せてくれる。だんだんと大きくなっていくし、強くなる。一方で、サボればすぐに弱体化していく。そのような自分の行動が身体や数字に表れる点から、サッカーよりも成長の可視化がしやすく、自信にもつながる、そんな筋トレが私にとっては好都合だった。
あくまでもサッカーのための筋トレという目的があったが、成長が見やすいようにと筋トレの方向性がズレた時期もあったと思う。つまり、筋トレは現実から少し目を逸らし、弱い自分を守るための手段にもなっていた。

今ではそんなこんなでつけてきた筋肉たちも私の武器の一つとなり、闘うには欠かせない鎧となっている。また、筋トレをする中で、運動-栄養-休養のバランスなどもより考えるようになった。そういう意味では寄り道しながらも継続してきたことは本当に良かったと思う。
そんな、私の筋肉たちと引退後にすぐお別れすることのないように気をつけたいところである。



『4年目訪れる最大の試練』

失敗から多くのものを学び、筋トレをして鎧も身に纏った。

「もっと高いレベルでサッカーをしてやる」
「そのためにも、何としてでも結果を残す」

そう覚悟を決めて、プレシーズン期間から自分自身を奮い立たせて、様々なことに取り組んだ。私よりもはるか上を進む康人、郁哉、淳平と山梨で焚き火の元、決起集会をし、勇気と刺激をもらい、大学最後のリーグ戦を迎えた。

しかし、蓋を開けてみれば大学生活で最も苦しい現実が待っていた。こんなにもかというほど勝てない日々が続いた。チームの中でもお互いにベクトルが向くことも増え、勝てない現実に自信も無くなっていくなど、全体の雰囲気も段々と悪くなっていった。そんな状況を目の前にしても、何も変えられない自分の無力さが何よりも情けなかった。後期に入ってからも、なかなか結果がついて来ず、地獄の6連敗。何度も目を背けてしまいたいと、どうにかしてやり直せないものかと思った。
「自分のやってきたことは何だったんだ」という風に自分の4年間に対して疑うこともあった。また悪い癖が出てきたのである。考えているようで、実は考えていないからだ。ただ自分を責めるようにしてその場を凌ごうとしている。もう22年も付き合ってれば自分のことは自分が一番わかっている。
だからこそ、その度に
「負けないこと 投げ出さないこと 

 逃げ出さないこと 信じ抜くこと

 ダメになりそうな時 それが一番大事」

この曲を聴きながら、自分に無理矢理言い聞かせた。
そうだ、みんなが悔しくて苦しい思いをしている。それに加えて、試合に出れずにもがいてる選手もいる。それなのに、試合に出れている自分が、キャプテンを務めている自分が責任から逃れようと逃げていい筈がなかった。

そんな時に、友達であり、仲間、戦友そして師匠とも言える、私の大学生活を話す上で欠かせない
【高田 淳平】に助けられた。

マンチェスターダービーという口実で私を家に呼んでくれ、ハーフタイムに入り「最近どないやねん」と口にした。それに対して、私は現状、心境を素直に話した。
すると、淳平は

「逆境こそチャンスやん。一番成長できる時やろ。楽しめ!
 今できること全部やったらええやん。
 大丈夫、お前なら出来るよ、自分を信じろ。」

という、見た目も心も「本当に同い年?」と言いたくなるような言葉の数々で私の背中をゴリラくらいの力で押してくれた。こんなことをブログに書けば、「なに書いとんねん、ボケ」と言う言葉が今にも飛んできそうだが、私は知っている。彼が心の中では喜んでくれていることを(笑)そう、淳平は愛に溢れた男だ。
この時期に淳平と話せたことは非常に大きかった。
ありがとう!

淳平とはこの時以外も4年間で多くの時間をともに過ごしてきた。去年まで隣にいたはずの淳平が今ではトップチームにいる。こんなにも悔しいことはない。でも、彼のずば抜けた努力を近くで見てた身としては妥当だと思う。彼はそれほど屈強な努力家だ。この4年間でも、どれだけ影響を受け、刺激を受けてきたかわからない。その一つ一つが私の財産となっている。
ステージは違うけど、ラストスパートお互い頑張って走りきろう!


そんな淳平と話す中で、
「上手くこなすことが私の良さではない。
 不器用ながらに目の前のことを愚直に
 やって、やって、やり続けることで始めて良さが滲み出てくる。」

ということに改めて気がつき、不格好ではあるが再び走り出すことができた。その後のIリーグの明治戦では、チーム全員が労を惜しまずに体を張って、90分間耐え続けた。周りから見れば、「ダサい」かもしれない。魅力的ではないのかもしれない。ワンチャンスを掴み、勝つことを目指していたが、結果は引き分け。でも、今年で一番楽しかった。

「強くあり続け、弱みを見せないことも大切。
しかし、時に自分の弱い部分を認め、周りにいる仲間を思い切って頼ることも大切。」
そんなことも思い知らされた。



『ラストチャンス』

4年目も派手に転んだ。そんな大学サッカー生活も終わろうとしている。だが、まだ何も残せてない。そんな私に最後のチャンスが。それは1部残留をかけたプレーオフ。望んでいた延び方ではないが、10月23日で終えていくはずだった大学サッカーに1ヶ月の猶予が与えられた。この期間を成長のために使うことはもちろんのこと、私は「恩返し」のための期間だと思っている。知識も技術も、そして人間的にも未熟だった私にこの4年間でたくさんのものをくれた日体大サッカー部のために。
そもそも、リーグ戦で負け続けたのが原因だから恩返しにはならないのかもしれないけれど。

"なんとしてでも Iリーグの一部残留を決める"

これが私に出来る最後のタスク。チームのために出来ることがあるのなら、喜んでやろう。しかし、これは1人で達成できるものではない。今シーズン、負け続けて自暴自棄になったり、Cチームにいることが恥ずかしくなったり、色々な感情が皆んなにもあったと思う。その思いを払拭するために、最後くらい勝って、皆んなで笑って、このチームを締め括ろう。そのために、Cチーム全員が勝つための最高の準備をしよう。
俺たちなら絶対に出来る。



『全てのことに感謝』

こう振り返るだけでも、4年間で、沢山の人に出会い、沢山の出来事に触れてきました。なんであんなことができなかったのだろう。逆に、なんであんなことをしてしまったんだろう。そんな後悔もありますが、そんな出来事があったからこそ、出来上がった今の自分がいます。全て自分にとっては必要なことだったのではないかと、今では思えます。


矢野監督をはじめとするスタッフの方々、こんな下手くそに対しても大学サッカーに励む環境を与え、熱いご指導をいただいたこと、心より感謝申し上げます。


同期のみんな。
絡んだ時間にそれぞれ差はあるけれど、皆んなのプレー、サッカーに対する姿勢を見て、勝手に刺激もらってました。それに、たくさん笑わせてもらいました。最高な4年間をありがとう!


その同期の中でも、じん(羽地朝仁)

晴さんから主務という大役を引き継ぎ、色々なものを背負ってくれました。時にはCチームでも怒り役になってくれ、個人的にすごく助けられました。そんな真面目で責任感の強いじんの活躍なしに今年の日体大サッカー部は組織として成り立たなかったと思います。身勝手な俺の行動に対しても理解し、快く送り出してくれてありがとう。
プレーオフまで共に突っ走ろう!


そして、健寮同期の皆んな!

同期というか、もはや家族というのがいいだろうか。みんなが一緒で本当に良かった。楽しい時も、苦しい時も、怒られる時も常に一緒だった。皆んなとだから乗り越えられたし、さらに絆が強くなった。個性はそれぞれ強いけど、トゲのない、愛に溢れた皆んなのことが大好きです。
サッカーでも、皆んなの活躍が刺激になりつつ、心から応援できるほど嬉しかった。沢山の思い出をくれてありがと!


最後に家族。
この4年間、実家を離れ、コロナ禍もあり、なかなか直接会うことも、試合を見にきてもらうこともできなかったけれど、常に支えてくれて、応援していてくれてありがとう。皆んなの応援が頑張る源になってました。

お父さん、お母さん
ここまでサッカーを不自由なく、文句も言わず続けさせてくれてありがとう。お陰様でこんなにも大切な仲間と出会い、素敵な出来事に触れることができました。とっても幸せな時間でした。

最後の1試合も精一杯の応援で一緒に戦ってください!




ここまで想いのままに文章を書いてきました。不器用なため、思ったことは詰め込んでしまいました。なので、相当読みづらいものになっているかもしれません。
ここまで読んでくれた人がいるんでしょうか。せめて、じん、健寮ファミリー、家族くらいは読んでくれてると嬉しいですかね。
多分、慶悟は「こば、長すぎばい」と途中で飽きて読むのやめてます。それも慶悟らしいので許しますが(笑)

ここまで読んでくれた方、それは私にとって「大切な存在」です。ありがとうございます。是非、これからもこんな私ですが、よろしくお願いします。


再度になりますが、あと1ヶ月もない中で大学サッカーの集大成となる一部残留をかけたプレーオフがあります。
この4年間、楽しいことも、嬉しいことも、悔しいことも、苦しいことも、理不尽なことも、色々経験してきました。
そんな4年間の「最後だからこそ」出来ることがあると思うので、出し惜しみすることなく、全てをぶつけます。今日よりも明日を、明日よりも明後日を、そんな風に1日1日を大切に、成長しながら結果も求めて過ごしたいと思います!


チーム全員で『闘』い、
最高の瞬間を『創』りあげよう!!

まだまだ熱い応援をよろしくお願いします!


貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。


名前:小林 祐喜 (コバヤシ ユウキ)
学年:4年
学部:体育学部体育学科
経歴:FC KASUKABE(平野中学校)→伊奈学園総合高校