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【自分らしく】4年 黒澤凌平
こんにちは。Dチームのキャプテンの黒澤凌平です。
まずは、先日の引退試合に他のカテゴリーの部員、学部学科の同級生、保護者の方々はじめ多くの方に来ていただき応援していただきました。有難う御座いました。
あの最高の雰囲気の中で最後に試合が出来たことはとても嬉しかったです。有難う御座います。
そして、多くの部員がいる中で自分のブログを見ていただけてとても嬉しいです。
4年間の大学サッカーが終わり、それとともに12年間のサッカー選手としての人生も一区切りになりました。色々なことを思い出していましたが自分が思い描いていた大学4年間とは程遠いものでした。
大学1年生の頃は新型コロナウイルスが拡大し、大学の入学式も中止。授業もオンライン授業となり、もちろんサッカー部での活動もスタートすることが出来ませんでした。
夏休み明け、様々な制限がかかる中、大学サッカー部としての活動がスタートしていきました。全国から集まった部員と顔を合わせ、共に練習をこなせるようになってきましたが、部内での感染が拡大し、継続した活動は難しくなってしまいました。
その中で活動が再開したある日の紅白戦。相手との接触で私は脳震盪を負ってしまいました。高校時代にも脳震盪を負ってしまっていて、外傷後頭痛が日常的に起きるようになってしまいました。
その時に「大学サッカーを辞めて、サッカーも引退しよう」と考えていました。
今ではこの選択の中で辞めなかったことは人生の中で正解だったと考えている。
それよりもこの先の人生の中で正解にしていくことが大切だと考えている。
この12年間のサッカー人生において様々な選択をしてきた。
サッカーを始めてすぐにゴールキーパーになったこと。Jリーグの下部組織に加入したこと。下部組織を卒団前に退団したこと。ゴールキーパーからフィールドプレイヤーに転向したこと。フィールドプレイヤーとしいて高校、大学に進学してサッカーを続けたこと。
今ではこの選択に後悔はないし、この選択をしたことをこの先の人生で正解にしていきたい。
大学4年時になり、Dチームのキャプテンに就任した中で試合に出られず、迷惑ばかりをかけてしまった。Dチームの監督牧野をはじめ、みんなには申し訳ない気持ちでいっぱいである。
いま引退した自分に出来ることはこの先の人生でこの選択を正解にしていくことしかできない。あの時にみんなから厳しい言葉、時には励ましをもらったからこそ今があると大きくなって伝えることが重要であると考える。
この先、自分自身も様々な選択を迫られる時が必ずある。その時は自分らしく選択して、その選んだ道を必ず正解にしていきたいと思います。そして必ず恩返し、恩送りが出来るように精進していきます。
そして最後に、これまでの人生を支えてきていただいた両親や家族、これまでサッカーを教えてきていただいた監督やコーチ陣、応援してくれた友人、そしてこれまでに関わってきてくれた全ての選手に感謝します。有難う御座いました。
皆さんの活動を応援しています!
最後まで読んでいただき有難う御座いました!
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名前:黒澤凌平(クロサワリョウヘイ)
学年:4年
学部:体育学部体育学科
経歴:川崎市立南河原中学校→日本体育大学荏原高等学校