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【リバウンドメンタリティー】4年 佐藤恵介
遂に私の時代が来ましたね。
今回ブログを担当させて頂きます。4年佐藤恵介です。
おそらく私のブログはハンカチやティッシュがなければ、涙で溢れ目の前が見えなくなってしまう可能性があるため、読む際には必ずお忘れのないようご注意ください。
現在、教育実習に行っていて、実習後に練習に向かい、練習が終わってからは祖父の家に帰るという生活を送っています。
仕事でお金を稼ぐということは大変なんだということを実感しています。
毎日家族のために汗水垂らして働いている両親には本当に感謝しています。
大学生活も長いようであっという間に時が流れ、気付けば最終学年となり、春から開幕したリーグ戦も残り1試合となった。
当たり前だった日常が少しずつ終わりを告げようとしている。
まるで枯れ葉のように🍂
とにかく寂しくて、切なくて、
「このまま時が止まってくれたらいいのに」
ということも最近は考えたりする。
それだけ濃密で楽しい毎日を過ごせている証拠だ。
練習後に4年生で行く温泉や何も用がないのに青葉台のドンキに行っては焼き鳥を食べて帰ってくる笑
それも1本ではなく気づいたら止まらなくなり、6.7本は食べていた笑
そんなたわいもない日常が好きだった。
あ〜もうなくなってしまうのか。
めちゃくちゃ寂しい。
日体大のキャプテンである成田君
彼は温泉に行ってる俺がかっこいいと訳の分からない勘違いをしています。
そんな彼は温泉が好きなのにサウナに入ると3分も我慢できず、誰よりも先に出て行きます笑
温泉が好きなのか嫌いなのかわかりません笑
勘違いだけは辞めてください。
大学生活を振り返ると怪我に苦しみ、時には挫折した時もあった。
1シーズン通じて怪我がなかった年はなかった。
足首を2回手術したり、グロインペイン症候群になってしまったりと、長期的に離脱をしなければならない怪我がとても多かったと感じる。
そんな中で自分らしいっちゃ自分らしい怪我をしてしまった。
「人生で一番絶望した日」
2024年8月5日のVS順天堂大学との試合で足首の怪我をしてしまった。
リーグ戦の中で1番調子が良かったと過言ではないくらい身体が動いた。
ここからという時にそれはおきた。
今でも鮮明に覚えているが、ライン際でボールを取りに行ったときに、人生で経験したことのないくらいの足の捻り方をしてしまった。
だが、「来週もなんとかまた試合に出れる」そう思っていた。
現実はそう甘くなかった。
足をつくだけで激痛が走り、歩くことすらもままならなかった。
気合いでなんとか歩いていました笑
あの時の自分を褒めてあげたいです。
診断名は三角靱帯損傷、骨挫傷、右足前距腓靱帯断裂の重症だった。足はゾウさんの足のように足首はパンパンに腫れ、内出血も酷かった。
頭が真っ白になった。
目の前がネガティブで溢れていた。
「なんでこんな大事な時期に怪我をしてしまうんだ」
自分らしいっちゃ自分らしいですが、このタイミングでの怪我は本当に立ち直ることができなかった。
ここでサッカー人生が終わってしまうのか、就活をした方がいいのかなど色々なことを考えた。
怪我してから数日、数週間経過しても症状は良くならず、不安と希望が見えない毎日が続いた。
少しずつ痛みが落ち着いてきたタイミングでウォーキングやジョギングをした際に激痛が走った。
ボールを蹴ること、止めることすらもできなくなっていた。
これは復帰するのは厳しいなと、この足では闘えないと感じさせられた。
食事も喉を通らない時もあった。
涙を流す時もあった。
仲間に弱音を吐く時もあった。
本当に辛かった。
大学生活もうサッカーをするのが厳しいのか、みんなと練習するのができなくなるのか、とそんなことばかりを考えてしまい、グラウンドに行くことも憂鬱になってしまっていた自分がいた。
今考えれば、それだけ自分にとって日体大でサッカーをすることや仲間とばちばちに練習からやりあえる、高め合える環境が好きだった。
仲間が頑張っている姿が刺激をくれた。
またピッチに戻りたい、みんなとサッカーがしたい。
自分にとってサッカーは人生そのものなんだと感じた。
「苦渋の決断」
足首の状態が一向に良くならないため、注射を打つことを決めた。
注射は一時的に痛みは和らげられるが、足首が完治するわけではなかった。
これから先のサッカー人生のことも考えると簡単に打てるものではなかった。
でも、みんなとサッカーがしたい。
その一心だった。
矢野さん、斎藤先生、親とも何度も話して痛み止めの注射を打つことを決めた。
このままでは、引退になってしまう。
プロサッカー選手になりたいという夢も叶えることができなくなってしまう。
自分の意思を尊重していただき、痛み止めの注射を打ち少しずつプレーできるようになった。
しかし、捻った時の衝撃が大き過ぎた故に頭の中で怪我した時のシーンがフラッシュバックしてしまい、球際などが怖くて足が出なくなってしまった。
ボールが蹴ることや止めることにも抵抗があったため、恐怖心からイップスになってしまい、味方へのパスがとんでもない方向へ飛んでいってしまうことも多々あった。
初めての経験で困惑した。
ですが、一時は引退も考えた怪我から復帰してこうしてリーグ戦を戦えてることは当たり前でではないし、様々な方の尽力により元気にサッカーができているからこそ、残り1試合感謝の気持ちをピッチで表現しなければならないと思っている。
「感謝」
ここまで何不自由なくサッカーを続けてこれたのは両親がいたからだと思っています。
忙しい日々でも試合に来てくれたり、支えてくれてありがとう。
残り1試合少しでも感謝の気持ちを伝えられるように頑張ります。
同期、みんなとの出会いは必然であり、奇跡だと思います。
誰1人としてかけてはならないピースです。
✌🏻ではありません笑
みんなと過ごせる時間も残りわずかだと思うととても寂しいです。
みんながいたからここまで頑張れてこれた。
怪我も乗り越えられてきた。
どんなにきつい時も踏ん張れた。
仲間の支えがなければ腐っていたかもしれない。
サッカーを辞めてしまっていたかもしれない。
4年間サッカーに没頭して本気で夢を追い続けられたのは間違いなく隣にいる仲間たちがいたからです。
ありがとうの言葉しか浮かびません。
みんなとプレーできるのもラスト1試合
後輩たちに必ず一部という舞台を置き土産を置いて卒業しよう。
俺たちなら大丈夫、絶対にいける。
行くぞ!!!!!!!!
最高のスタッフ、最高の仲間で最後は満開の笑顔で終えられるように頑張ろう👍🏻
ハンカチとティッシュは必須だったのではないでしょうか。
長くなりましたが自分の想いを綴らせていただきました。
残り1試合勝って必ず優勝・1部昇格します。
熱い御声援の程よろしくお願いいたします。
次のブログは
日体大のNo.10菅野くん(10番は俺も着てみたかった笑)と足筋肉マッチョ宮木くんです。
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◇プロフィール◇
佐藤恵介(さとうけいすけ)
学年:4年
前所属チーム:FC東京U-18