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【恩返しの思いと共に、全力で】4年 山根優汰

こんにちは。
今回ブログを担当する4年 山根優汰です。

偉大な先輩たちが思いを綴ったブログを3年間見続け、ついに4年生になった今年、自分がブログを書く番が回ってきました。

初めてのブログであまり何を書けばいいのか分からないので、まずは4年間あったこと、感じたことを振り返ろうと思います。
ものすごく濃い4年間だったため、長くなるかもしれませんが、最後まで読んでくれると嬉しいです!

まずは、1年生。
予定では入学前の2月から練習だったが、コロナの影響もあって3月の末に入寮した。

入寮から数日経ち、1年生のみでのトレーニングが始まり、打ち解ける間もなく、全員が早くトップチームに行きたい気持ちの中ピリピリしていた。
とても印象的だったのは菅野隆星で、関西弁だし、ボロクソ文句言うし、怖いし、どこに目ついてるんだって思うくらい上手いし。
「ある程度できるでしょ」
と調子に乗っていた気持ちが一気に
「この先の4年間この中でサッカーができるのか」
と不安になった。

1ヶ月カテゴリーの練習に参加させてもらえず、5月に決まったカテゴリーはCチーム。
サッカーを心から楽しんでいるような空気感で、サッカーは楽しむものなのだと再確認できた。
また素晴らしい人間力を持った多くの先輩に出会うことが出来た。

特にCチームキャプテンであった「松本秀太」。
秀太くんは、どんな状況でも自分と向き合い常に全力でプレーし、ピッチ外でもチームや後輩を第一に考え、1人の人間として憧れ、ファンになった。
自分も4年生になった時にこの人のようになりたい、そう思えるくらい影響を受ける人間だった。

秀太くんのプレーや姿に刺激を貰いながら手を抜かず、全力でプレーし夏の終わりにBチームにあげてもらえた。
しかし、あげてもらってすぐ怪我をし、シーズン終了まで合流できなかった。


次に、2年生。

Bチームの年明けの最初の走りで両ハムの肉離れした。
長期離脱から始まった2年目。

復帰して必死にサッカーに打ち込み4月の末にAにあげてもらった。
Aに上がってからは今まで経験したことの無いレベルの高い環境の中、毎日の練習が刺激だらけでついて行くのに必死だった。
だけど、出来なかったことができるようになったり、自分の持ち味を試合で発揮できたり、成長を感じれていたしサッカーがとても楽しかった。

でも、さすがに調子に乗って浮かれていた自分がいて、夏に矢野さんに何度か喝を入れられもっと謙虚にしないといけないと気付かされた。
この調子に乗ってしまう性格は治さないといけないと自分でも思った。

後期には自身のサッカー人生初であるリーグ戦5連勝も経験した。
また、高校の2つ上の先輩である冨士田康人と同じピッチでプレーすることが出来て個人的にすごく嬉しかった。
チームとしては最後の最後で昇格を逃し、悔やまれるシーズンになったが個人としてはプレーも心も成長できた濃いシーズンになった。


そして、3年生。

2年生に続きAチームでプレーすることになった。
冬帰省の終わり福岡から羽田に向かう飛行機の中で、今年の目標を考えた。

「開幕スタメンで出場し年間5アシスト」

しかし、シーズン終わってみれば、リーグ戦の出場は1試合のみで終わった。

開幕前の時期に足首の捻挫を繰り返し、復帰しても思うように体が動かず、思い通りのプレーも出来ずに再び怪我をするというのを1年間繰り返していた。
毎試合ベンチに入れず、仲間の応援をする。
それが当たり前のようになって、悔しいという気持ちもだんだんと薄れるようになった。

振り返ってみると、サッカーに本気で向き合うことが出来ていなかったと感じた。
写真のフォルダを見てみるとサッカーをしている時の写真は僅かで、遊びの写真で溢れていた。
サッカーと本気で向き合う上でオフの日に遊びに行くことが悪いことではないと思うが、サッカーが上手くいってもいないのに様々な誘惑に負けてしまっていた。

秀太くんが過去のブログで「サッカーの才能はどれだけサッカーを愛せるか」と書いていた。
好きでサッカーをやらせてもらっているのに、サッカーを愛せていない自分がいた。

そんな自分にでも常に応援してくれる人が何人もいた。
その応援に何も答えることが出来ていない自分に絶望し、その人たちをがっかりさせたくないと強く思った。


最後に4年生。
ついに、最終学年となり、今年もまた飛行機の中で目標を立てた。
応援してくれてる人に恩を返す方法として全力でプレーする姿をみせることだと思った。

なので目標は

「長期離脱0でサッカーを楽しんで常に全力でプレーする」

に決めた。

目標を達成するためにほんの少しではあるが、食事や栄養に気を使ったり、練習前の怪我を予防するためのトレーニングを行ったりした。
栗原と米陀とファットボーイズ(体脂肪が多い人が入るグループ)に入れられたこともあったが練習後にダイエットを行い痩せた。
恩返しするためにできることを考え、探し自分と向き合った。

結果としてリーグ残り1節になった今まで離脱したのは教育実習と頭を挫傷し運動を禁止された2回だけで、全力でプレーする姿を見せることが出来たと思う。
そして、これからも全力でプレーする姿を見せつけつけたいと思う。

11/16日のリーグ最終節である慶應戦を残した今、チームはリーグ2位で大学4年目で最後の昇格のチャンスが訪れている。

シーズン中なかなか勝てずに苦しい時期も何度かあったが太志郎が「今年、神様は日体についている。」と言うように何回もピンチをしのぎ、勝ち点を重ね、今の順位で戦えていると思う。
自分のサッカー人生を振り返ってみると目に見える結果として成し遂げた事があまりない。
でも、成し遂げることが出来るチャンスが目の前に転がっている。

結果を残して指導者の皆さんや後輩たちに今までの恩返しをしたい。

そしてこの大好きなチームで大好きな仲間と喜びたい。

そのために最終節全力でプレーし、持っているものを全力でぶつけ昇格を掴みたい。


このような感じで4年間を振り返ってみましたが、本当に多くの人に支えられ多くの人に応援してもらい、人に恵まれた4年間の大学サッカーでした。

まずは、家族に感謝したいと思います。

両親は毎回遠いとこから応援しに健志台まで来てくれたり、毎回帰省する度に怪我せずに頑張れと言ってくれたり、ずっと応援してくれていました。
兄はあまり自分のサッカーに興味を持ってる感じはありませんでしたが、先日の城西大学戦に1人で応援しに来てくれました。
祖父母は自分が出た試合は全てライブ配信を見てくれて応援してくれました。
たまに菖悟と自分を間違えていましたが。

18年間不自由なくサッカーさせてくれて感謝しかないです。
いつもありがとう。

そして、多くの時間を一緒に過ごした仲間にも感謝しないといけません。

日体大で関わってくれた先輩は素晴らしい人ばかりでした。
入学して人見知りな自分に声をかけてくれてサッカーをやりやすい環境を作ってくれたり、仲良くしてくれてご飯に連れて行ってくれたり、卒業してからも自分のことを気にかけてくれたり、素晴らしい先輩方と出会うことが出来ました。
ありがとうございました。

後輩も可愛い後輩が多くてグラウンドでも寮でも嫌な顔せず接してくれて、楽しい4年間を過ごすことが出来ました。
特に同部屋になった後輩は、いつもくだらない話を聞いてくれました。
ありがとう。

秀太くんのように憧れの先輩になれたかは分かりませんが、何か少しでも残せるように卒業まで頑張りたいと思います。

そして多くの時間を過ごした同期。
個性が強すぎて、変なやつが多くて、最初はみんなと仲良くなれるかなと思っていましたが、みんな良い奴でピッチ内でもピッチ外でも多くの思い出が出来ました。
この4年間サッカーを続けることが出来たのも同期の存在があってこそだと思います。
時にはしょうもない事で言い合いをしたりしましたが。それもいい思い出です。
琢人と厚太とは何度も寮の湯船で決起集会を行いました。
みんなありがとう。
翼はちゃんと単位とって卒業してね。

こんな大好きで最高な仲間と日体大のエンブレムを背負って4年間戦えて幸せです。


最後に、多くのことを学ばして頂いた矢野さんをはじめとする指導者の方々。
サッカーの技術以上に苦しい時の立ち振る舞いなど人として大切なことを教えて頂き、成長できた4年間だと思います。
他にも、これまで携わってくれた指導者、保護者の方々、地元や大学の友達、リーグ関係者、ご飯屋の店員さん、バイトの先生。
ほんとにたくさんの人達に支えられて、サッカーを続けることが出来ました。
ありがとうございました。
これからも、感謝の気持ちを忘れず歩んでいこうと思います。

これからもよろしくお願いします!

長くて拙い文章でしたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。

次の引退ブログは佐藤恵介とオボナヤです。
2人とも熱い気持ちを綴ってくれると思います。
ぜひ読んでみてください!

これからも、日体大サッカー部の応援よろしくお願いします!

◇プロフィール◇
山根優汰(やまねゆうた)
学年:4年
前所属チーム:東海大学付属福岡高校