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【なるようになる】4年 吉崎太雅
こんにちは、今回ブログを担当させていただきます。4年吉崎太雅です。
拙い文章かもしれませんが、最後まで見ていただけると幸いです。
ブログを書くのが初めてで、何を書けばいいのかわからないので、4年間を振り返っていこうと思う。
先輩から「大学4年間は早いよ」と言われていたが高校よりも1年間長いことから半信半疑だった。
もう4年が経った。
先輩の言うとおりだった。
しかし自分が過ごした大学4年間、悔いはない。
自分から後輩に伝えたいことは、大学4年間はあっという間だから1日1日を大切に過ごしてほしいということだ。
【サッカーへの熱の転換機】
自分は入学してから8月まで怪我をして、サッカーができなかった。
高校でサッカーをやめようと思っていたが、恩師のおかげで日本体育大学のサッカー部に入ることができた。
しかし、正直なところサッカーへの熱は冷めていた。
怪我が治り、復帰後45分間の練習試合に出してもらえた。
体力は5分で尽き、残り40分。相手と戦うというより吐き気と戦っていた。地獄のように長く感じた。
そして試合が終わりハーフタイム。
ベンチで這いつくばっていると、監督から
「太雅、明日からB」
この一言でやっぱりサッカーをやめようと心に決め、解散後矢野監督に「サッカーをやめたいです」と話しに行った。
この時の自分の気持ちは今でも覚えている。
しかし、矢野監督から「勝手に決めるな、明日からBね」と言われた。
それでもサッカーをやりたくないと思った自分は「落とすなら一番下まで落としてください」と口が動いた。
監督から「勝手に決めるな、評価するのは指導者だ」と言われた。
その通りだと思う。
今思うと支えてきてくれた恩師や家族、アンダーカテゴリーで頑張っていた仲間たちに申し訳ないことをしていたと思う。ごめんなさい。
そしてBチームでの練習に参加。
Bチームの練習でも最初のパス練習で肺が限界だった。
この生活を数週間続けていたが、サッカーをやめたい気持ちは変わらなかった。
しかし、その数週間後、大学サッカーで初めてサッカーでの喜びを味わった。
それはアイリーグにパワープレー要因としてベンチ入りを果たし、試合に出て点を決めることができたことだ。そして次の試合も。
さらに、次の試合ではアシストがつき勝利。
どれも自分に与えられた時間はたった3分。奇跡だった。
試合後の先輩の嬉しそうな顔や褒めてもらえた時の嬉しさがたまらなく、「ラストの数分で結果を残せるように練習を頑張ろう」と少しずつサッカーへの熱がついてきた。
そして次の週、まさかのAチームの関東リーグのパワープレー要因として昇進。
これが関東リーグデビューである。
まさか結果を残せてしまうのではないか。と考えたがそこまで現実は甘くなかった。
デビュー戦では結果を残せず、技術がない自分は、また周りが上手いAチームに混ざって地獄の練習へと逆戻りした。
1年生の終わりにAチームに居られたことから2年生の始まりもAチームから始まった。
体力と筋肉もそこそこ付き、練習には一応ついていけるようにはなっていた。
しかし、相変わらずの技術不足は変わらず、練習でもチームメイトに迷惑をかけてばかりだった。
そして関東リーグにはCBで1か2試合出場、それ以外はFWのパワープレー要因として出場。
結果は特に残せないまま先輩の涙を見てシーズンが終了した。
3年生になり、3月末までCBで練習をしていた。
そして4月初めの関東リーグを迎えた。
今年もやはりパワープレー要因のFW。
そして迎えた2試合目。なぜかFWでスタメン。
練習でもやったことがない。
21年間やってきたサッカーでもFW歴はない。
なのにFWスタメン。自分が一番びっくりした。
こんな動きでいいのか。だけど自分に求められていることは収める、ヘディングで勝つ。これだけ。
やることがはっきりしている分、やりやすさもあった。
そしてFWスタメンのデビュー戦で1ゴール。これもまたびっくり。
もうCBじゃない方がいいんじゃないかまでも思っていた。
それぐらい同期や先輩からの評価は高く、嬉しかったから今でも覚えている。
そして3年生では約20試合、FWとしてスタメンと途中交代で出場。
そして自分がスタメンの試合はほとんど勝ち点3を手にしていた。
しかし、後期の勝ち点は失速し、この年もあと1歩のところで昇格を逃した。
3年生からFWで出させてもらえるようになり、4年生になって、最後の年ということもあるためサッカーへの熱は100%を超えている。
そして今、残り1節。これに勝てば昇格。
だから勝つしかない。燃えている。
後輩に最高なプレゼントを残して卒業したい。
そして今も応援してくれているすべての人にチーム全員の最高な笑顔を見せたい。
自分の4年間の出来事すべてをこの試合にぶつけて戦います。
応援よろしくお願いします。
【慣れない寮生活】
入学して4月から寮生活が始まった。
寮は4人部屋で狭く、その時自分を入れて1年生の竹内と小澤で3人、そして2年生の三瓶君と同部屋で寮生活の幕は開いた。
最初は新鮮な環境で楽しかった。
しかし、やはり一人の時間はない。常にみられている。という状況に落ち着かず疲れも取れなかった。
この生活が始まり6月頃。生活が狂いだした。1週間のうちに3つのやらかしをしてしまった。
1つ目は21:30の点呼に寝坊。
2つ目は練習時間を間違えて遅刻。
3つ目は、当時コロナ禍にも関わらず、濃厚接触者と遊びに出てしまった。
これがバレて、200人以上いる部員の前で泣きながら謝罪した。
その光景は黒歴史ともいえる。今となってはいい思い出だ。
この3つのやらかしから、先輩に叱られ、1年生が連帯責任で数週間の外出禁止を言い渡され、同期からもブーイングの嵐が巻き起こり、ごりごりの関西弁の菅野隆星に今までにないくらいの勢いで言葉攻めを受けた。
しかし、あの時にりゅうせいがいなかったらもっと悲惨なことになっていたと思うと感謝しかない。ありがとう。
こうしてやらかしの時期が過ぎ、先輩と同期からやばいやつ扱いを受け、信用もない状態から始まったので寮での肩身が狭い状態で過ごしていた。
2年生になり、寮生活にも慣れてきた。なぜかは忘れたが、石坂と汚い廊下で取っ組み合いをしたのを覚えている。
また、佐藤恵介と同部屋になり、ここからだいぶけいすけと仲良くなった。
そしてコロナの影響で練習が無くなった週には、空が明るくなるまで岡﨑大志郎と長山光と一緒にスマブラを永遠とやっていた。
めちゃくちゃ楽しかったし、全部がいい思い出だ。
いい思い出がたくさんできたが、やっぱり廊下で泣くセミで起きるのは嫌だし、狭いし自由もないし、門限も早い。そして一人暮らしもしてみたい。と思った。
そこから何ヶ月もかけて退寮計画を立てるようになり、不動産屋に行ったり、食費や光熱費を計算したりして、監督を説得できるように頑張った。
しかし、監督と話をしているときに
「太雅はプロになれる、俺は太雅の可能性を信じている」
と言って下さり、自分の可能性を信じて残ることに決めた。
退寮計画は長い間作戦を練って挑んだが退寮未遂で幕を閉じ、3年生から新しくなる健志台寮に入寮することが決まった。
3年生になり退寮未遂として終わった自分は、寮のルールに不満しかなかったが、何も行動を起こさず、ただただ過ごすだけで3年生は終わった。
4年生になり、サッカー部の寮長をやらせてもらうことになった。
ちゃんとやっている自分たちが損をするのは大嫌いだから。気に食わない根本から全てを変えたいと思った。
寮にはサッカー部以外もいて全員で約500人。
住みやすい寮にするためにサッカー部の寮長を引き受けたことから覚悟は決まっていた。
500人の寮長もやってやろう。
俺が寮をよくする。住みやすくする。
という思いから、全体の寮長とサッカー部の寮長をやることになった。
1年生の時に寮の肩身が狭かった自分は今では肩身が広い存在になることが出来た。
サッカーも私生活も全部うなぎ上りといっても過言ではない。
そして引退を控えた今、次の寮長を誰にするか話し合っているところだ。
発表を楽しみにしておくように!
【感謝】
同期へ
みんなと関東2部優勝、1部昇格を目指して頑張った日々は一生の思い出。
どんなに苦しいことがあっても個性豊かで全員がリーダーシップを取れるみんながいたから、みんなを頼れて、前を向いて頑張れた。
刺激し合い高めあえる、そんな仲間だと思う。
直接伝えたことはないけど、個性豊かすぎる同期が大好きだ。
本当にありがとう。
家族へ
お母さん。高校3年の時、左膝に腫瘍ができ、松葉杖生活。
お母さんは「こんな子供に産んでごめんね」と私に言った。
謝られる筋合いはない。1歳からサッカーをやらせてもらって、こんな体で嫌だ、なんて1回も思ったことがない。
むしろサッカーをこれだけ長く続けてきて結果も何も残せていない自分が悔しい。
丈夫な体に育ったよ。
だからここまでサッカーができている。ありがとう。
お父さん。今年は身内で色々なことが起こったけど精神を平常でいられる逞しさ、まさに一家の大黒柱だと思う。
毎回小学校の時から大学生になった今も、自分が試合に出てなくてもチームを応援してくれる。自分が出たら全力応援。
試合が終わった後、勝っても負けても声をかけてくれる。
勝った日の家族で連れてってくれる焼肉は別格だ。
最終節も勝ってまた焼肉行こう。
そしてまだ自転車を立ち漕ぎするおばあちゃんといつも元気に話をしてくれるナイナイ(おばあちゃん)、そして今は亡きイエイエ(おじいちゃん)いつも心の支えになっている。
ここからは自分が支えられる男になるよ。
だからもっと長生きしてね。
兄貴、ここで言うことはない。
2人でご飯行こう。
そして親戚の方。
親戚間でも仲がよくていつでも応援してくれている。だから力になっている。この応援の恩返しとして結果で見せたいと思う。
これからもよろしくお願いします。
家族も親戚も全員本当に大好きだ。
未熟者の私ですがこれからもどうぞよろしくお願いします。
ここまで長い文章を読んでいただきありがとうございました。
明日は関東リーグ最終節です。
最高な仲間、最高な後輩、最高な大人スタッフ、最高な応援。
最後に笑う舞台は整っています。
ピッチ内もスタンドの皆も団結して戦い、全員で笑いましょう!
最後まで熱い応援よろしくお願いします!
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◇プロフィール◇
吉崎大雅(よしざきたいが)
学年:4年
前所属チーム:三浦学苑高校