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【「急がば回れ」の4年間】4年 小澤亮太

こんにちは。
今回ブログを担当する日本体育大学サッカー部の4年小澤亮太です。
ブログを書くのは初めてで拙い文章ですが、最後まで読んでくださると嬉しいです。

あっという間に4年生になり、それがもう終わろうとしている。
いろんな思い出がこの日本体育大学サッカー部にはあるが、思い返すと長い4年間だったなと思う。

日記を読み返す感じでざっと小澤亮太の4年間を振り返ってみようと思います。

入学して、健志台寮に入り4人部屋の門限が21時30分の生活が始まった。
まず、その寮生活に慣れるところから始まった。寮生活は意外にも楽しくて毎日が刺激的だった。
1年生の頃は授業が体育ばかりで1限から4限までずっと何かしらのスポーツをやってから17時から練習。オフの日もグラウンドで自主練。空きコマもトレセンで筋トレ。多分オーバートレーニングだった。(気持ち悪くなる日もたまにありました笑)
ガムシャラに過ごした1年間だった。

2年生は脛を骨折し、ずっとリハビリをしていた。
この期間で本格的に筋トレを開始し、大学入学時の体重から約10kgぐらい増えた。
この期間が自分の中で転換期だっかなと今では思う。
当時はサッカーから離れた生活を送っていたのでサッカーができないもどかしさ、関東リーグをスタンドで観戦する悔しさがあった。
でも、この期間で得たものは大きかった。自分と向き合う時間が増え、身体が劇的に変わり、プレーの幅がとても広がったと思う。
食事にも気を使うようになり、本を読んで知識を蓄えていった。

この期間を経て、3年目のシーズンは関東リーグが開幕してから3連勝して、このままの調子で行くと思っていたが、そうは上手くいかず失速して、勝利から遠ざかってしまった。
練習の雰囲気も悪く、いかにも負けているチームだった。
個人としても自分のプレーに追求することをやめてしまっていた。調子が狂っていった。
そして、夏前にサッカーへのやる気がなくなり、燃え尽きた感じの日々が続き、グラウンドに来るのが憂鬱になった。一度実家に帰り、サッカーから離れた。
ここで学んだのはサッカー以外の時間も大切だということ。
そこからオフを作るようになり、上手く気分転換するようになった。
そこで始めたのがパン屋のバイトだ。
サッカーしかやってこなかった人生だったので、自分からサッカーをとったときに何か残るようにしたいと思い、社会勉強も込めて近くのパン屋でキャプテンの成田安里と一緒に働き始めた。お金を稼ぐことの大変さを知るきっかけにもなった。
その後すぐ怪我から復帰したが自分の力不足もあり、昇格することはできなかった。
3年生で学んだのはサッカー以外の部分が大きかった。

そして、最後のシーズンが始まった。

今年は脛に入れたボルトを抜く手術から始まり、DENSOカップ、プロチームへの練習参加、関東リーグ開幕、特別指定でチームに帯同した2週間、中学での教育実習など4年間で1番忙しい日々を過ごした。
とても充実していたが、とても大変だった。

ざっと、振り返るとこんな感じだ。
「急がば回れ」ということわざがあるが、
まさに「急がば回れ」の4年間だったと思う。
近道はなかった。遠回りしたからこそ見える景色もあると思った。
この4年間で得たものは今後の人生の礎を築くと思う。
そして、その4年間を大学の授業、寮生活、部活、と長い時間を一緒に過ごした同期にはとても感謝している。

個性が豊かで、主張が強い学年。

時にはぶつかり合うこともあったけど、みんなサッカーが大好きでいつも本気で日体大サッカー部のことを考えている。
そんなみんなとサッカーできるのも残り2節。幸いにも好順位にいる。
この4年間先輩たちの涙をずっと見てきた。その度に自分の無力さを痛感した。
それも今年で終わらせたい。
ラストまでなにが起こるかわからないが最後の笛が鳴るまで仲間を信じて、同期を信じて、最後にみんなで笑って写真が撮れるように

残り1節死ぬ気で勝つ!

最後に、いつも応援してくれる他カテゴリーの選手、親御さん、日体大サッカー部のファンの方々とても感謝をしています。
ホームのあの雰囲気の中でプレーするのが自分はとても好きです。
でも当たり前じゃないことも理解しています。皆さんのおかげだと思っています。ありがとうございます。

残すところリーグ戦もあと1節になりました。ホーム開催です。
ぜひ日体大にきて一緒に戦いましょう!応援よろしくお願いします!

次は長山光と五十嵐琉偉です。
ひかるとるいよろしく!

◇プロフィール◇
小澤亮太(おざわりょうた)
学年:4年
前所属チーム:昌平高校