【『濱政という人間』】4年 濱政実
こんにちは。
今回ブログを担当します、濱政実です。
ハママサミノルではなく、
ハママサミでもなく、
ハマセマコトと言います。
ぜひ名前だけでも覚えてやってください。
つい先日までコロナにかかっていて、完全にこのブログの存在を忘れていました。
何を書こうかと今パソコンに向かっています。
と言っても自分は何か良いことを言えるような人間でもないので、興味がない人がほとんどだと思いますが、良い機会なので自分の人生について振り返らせて頂こうと思います。
暇つぶし程度で読んで頂ければと思います。
昨日ブログを担当した樋口、明日担当する太田の2人と私の共通点であり、私のこれまでの人生を振り返るにあたって切っても切り離せないのが、浪人生活です。
私は勉強が嫌いでした。県内で一応進学校と言われる高校に通い、頭の良い人たちに囲まれ3年間を過ごしましたが、勉強が楽しいと思ったことはありませんでした。友人との会話、体育の授業、部活をしに高校に行っていたと言っても過言ではありません。サッカーが楽しくて仕方がありませんでした。
部活などを言い訳にしたり友人と遊んでばかりいた私はもちろん成績が悪く、周囲の人たちに心配をかけてばかりでした。両親や先生、友人の言葉も軽く聞き流していた自分は、余裕で受かると思っていたある大学の受験を失敗しました。さらに自信があったとは言え、当時の自分は何を考えていたのか、滑り止めの大学も受けずにスポーツを学べる大学1つだけしか受けていませんでした。私立大学だからと言ってセンター試験も記念受験の感覚で受けていたため、ある程度の国公立大学を狙えるような、ましてやセンター利用が使えるような点数ではありませんでした。
1年間の浪人生活が決まりました。
当たり前のように訪れると思っていたキャンパスライフが送れないこと、サッカーができないこと、両親や家族に迷惑をかけてしまうこと。突きつけられた現実に頭が真っ白になりました。しかしこれは紛れもなく自分が招いたものです。自分をとても恨みました。心配して声をかけ続けてくれていた高校の先生、友人、そして両親に申し訳ない気持ちと自分の情けなさで一杯になりました。
それでも両親や周囲の人たちはサポートしてくれました。すぐに切り替えることは難しかったですが、第1志望を国公立設定し予備校に通いました。結果的には合格することはできず、現在に至ります。私は両親や周囲の人々の期待にまた応えることができませんでした。
ただしかし、私は日体に入ったことに後悔はありません。
さらに今思えば、浪人生活も自分にとっては必要な期間であったのではないかと思っています。ろくに勉強もせず何となく大学に入学したところで逆に私はちゃらんぽらんな人間になっていたのではないかと思うからです。私は母親から「あんたは物事を舐めてかかる癖がある」と言われることがあります。まさに勉強がそうでした。そんな状態で大学に行っていたら世間を舐め腐った人間が出来上がっていたかもしれません。
私は浪人生活や今までの大学生活を送る中で、自分は本当に色々な人たちに支えられていることをとても感じました。地元の友人、お世話になった先生方、大学で出会った友人、サッカー部のみんな、、、
そして、口にすることはあまりありませんが、さまざまなことに感謝することがとても多くなりました。大学でサッカーができること、審判としても活動することができていること、休日の友人たちとの遊び、友人たちとたわいも無い話をしながらお酒を飲んだりできること、、、
こんなに幸せな毎日を送れていることに本当に感謝です。
そしてやはり自分にとって両親の存在は大きなものであると感じています。今まで何不自由なく生活を送ることができ、たくさん迷惑をかけてもずっと支えてくれ、今でも大好きなサッカーが毎日できています。
感謝してもしきれません。
これから恩返ししていけるように立派な人間になっていきたいと思います。
もうあと約1ヶ月ほどですが、感謝の気持ちを忘れず、残された大学サッカーを全力で楽しみたいと思います。
日本体育大学サッカー部の応援よろしくお願いします!
P.S. 審判部の応援もよろしくお願いします!