《大きな挑戦》1年 藤田智陽
こんにちは!今回noteを担当します。1年の藤田智陽です!今回のテーマは「ラスト10代!!!」ということで、私の10代を振り返ってみたので、最後まで読んで頂けたら嬉しいです。
10代を振り返ってみたと言っても正直小学生の頃のことはよく覚えていません。なので覚えてる範囲で振り返ります。私の10代は人とはちょっと違ったけど、楽しく笑顔溢れる充実した日々を過ごせたと思います。
私の10代のターニングポイントは間違いなく中学2年生の10月です。そんな中途半端な時期に何があったか。それは学校を変え、チームを変え、親元を離れ、ポジションを変え、と環境を全て変え、青春を捨てて挑戦したJFAアカデミー福島でキーパーをやると決めたことです。
それまでは、実家から地元の公立中学校の男子サッカー部でセンターバックをしていました。サッカー部というよりは、ボールに触れない日も多々あり、陸上部だったのかもしれません笑笑
キーパーはもちろんのこと、女子の全国大会常連のチームに縁もゆかりもありませんでした。
でも、人生どこでチャンスが転がってくるか分からないものです。
好奇心から始めたキーパーでしたが、そう簡単にはうまくいきませんでした。キーパーをやるような体格ではなく、試合前のシュート練習で骨折。何キロ以上行かないと試合出さないとよと言われた時。正直、体重まで管理されると自分がやってる競技がサッカーなのかわからなくなったこともありました。
キーパーを初めて1週間。小学6年生に「あのキーパー」下手くそと言われ、初っ端から来るチーム間違えたかもと思いました。また、全国大会の決勝を多く経験させてもらったけど、試合に出て優勝を掴んだことはなく、自分ではチームのゴールを守りきれない。やっぱキーパーは向いてないと思う日々でした。
それでも私が頑張れたのは、応援してくれる家族、挑戦を後押ししてくれた顧問の先生、仲間、そしてどんなに運動音痴で下手で怪我ばかりしていても、見捨てずいつもいろんな道具を取り入れ、楽しい練習ばかりをしてくれたキーパーコーチの存在があったからです。
正直、キーパーコーチとの出会いが無ければ、サッカーを高校で続けていなかったかもしれないし、日体大にも入ってなかったかも知れません。こんなにも人に負けたくない、自分の手でチームのピンチを救いたい、と上を目指すようになったのは、間違いなくキーパーコーチの存在があったからです。初めはチーム間違えたとか挑戦したことを失敗かもと思っていたけど、今では成功だと思ってます。いつか良い報告という形で恩返ししたいです。
日体大に入り、周りを見れば実力者達で試合に絡めず耐える時間が続いてるけど、初心を忘れずに楽しむこと、自分自身ができる全力で常にプレーをしていつか大きく存在感のある選手になります!!
まだまだ大学サッカーは始まったばかり、今の状況にとらわれず自分らしく。
同期と共にラスト10代全力でいろんなことを楽しみます!!!
長くまとまりのない文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。これからも日体大SMG横浜、日本体育大学女子サッカー部の応援よろしくお願い致します。
#ラスト10代 !!
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