かつて文通していた友人のFaceBookに打ちのめされる
僕はかつて、友人と文通していた。
少し前からnoteを書いていて、思い出の話が良く読まれているという気付きから「ほかに書けそうな思い出はあっただろうか」と記憶を掘り返した。
するとひとつ、文通をしていた友人がいたことを思い出した。
僕は他人からもらったものを捨てられないタイプなので、絶対にどこかにあると探せば、彼からの手紙だけではなくおびただしい数の年賀状も出てきた。こういうときに助かるなと思いつつも、定期的に思い出の処分をするべきと感じた。
もう彼の顔もおぼろげなので、自力で思い出すのはやめた。
最低限の情報として、彼とは同級で同じ小学校に通っていたことは記しておく。
ではさっそく手紙を読んでいこう。
(手紙をそのまま載せようか迷ったけれど、中には「他人に見せないこと」と書かれた封筒もあったのでやめました。あと圧倒的に固有名詞が多いため、のり弁文書になることは必然)
最初にもらった手紙
最初にもらった手紙は、彼が僕の家の近所に住んでいたときのものだった。
こんど進学と共に引っ越すことと、僕の12歳の誕生日(僕は早生まれである)を祝う旨が書かれていた。
彼の家は転勤族で、こちらに越してきたとき、愛らしいしぐさと知性あふれる会話に心を奪われた。以来彼が越すまでの3年間、よく遊んだのを思い出す。
僕と彼との思い出についても書かれており、彼は文中で僕を2番目の友達であると書いていた。1番でないことは惜しいが、わざわざそう書いているところには愛嬌がある。
手紙は「手紙を書くのは好きですか?」と締められていた。
きっと僕はイエスと答えたのだろう。
以降、彼は越した先から僕に手紙を送ってきている。
2通目
封筒には9枚の便せんが入っている。
よくこんなに書けるものだと感心したが、彼の家は教育熱心で、ゲームや漫画が家にあまりなかった。加えてテレビが見れる時間も限られていることをよく話していたので、2番目の友達に割く時間もそれなりにあったのだろう。
よく見ると何日かに分けて書いているようで、書いた日付と時間(分まで)が記されている。
なんだか日記を送ってきてくれているようで面白い。
どうやら僕はこの前に1通、彼に手紙を送っているようで、その感想についても記されていた。
また、彼とその直前に電話をしていたらしく、彼は電話と手紙、どちらの方が好ましいかについて自身の考えを述べていた。どちらも適切に使うべきであり、半々で用いたいと結論付けている。
この前の僕の手紙には「便せんの裏の活用」について書いていたらしい。
彼は「確かに議論の余地がある」と、資源の活用のために僕が便せんの裏に内容を記すことに肯定している。
論理的な内容が主立ってはいるものの、執拗に僕の好きな相手を聞いてきている便せんもある。
彼は自ら好意を寄せる相手についてあらかじめ触れることによって、僕が自然と吐くだろうと考えたのか(※彼は同世代にしては知性があった)便せん1枚分、彼の恋愛事情で埋まっていた。(ここまでで便せん4枚)
5枚目以降は僕の功績をたたえる内容となっている。
どうやら僕はその年の彼の誕生日を2番目に祝ったひとらしく、銀賞が送られている。ここでも僕は彼の2番目らしい。僕が惜しいんじゃないか。
加えて2番目に手紙を送ってきてくれた友人らしい。僕はどこまでも彼の2番目なようだ。
ところでなぜか9枚目の便せんは「9枚目」と記されているが、それ以外には何も書かれていない。何故?
3通目
僕はどうやら彼にのせられて、好ましい特定の他者について記したらしい。
(尤も、僕のこの辺りの感覚は「他より好ましい」程度のものであったが)
ちなみにその相手というのは僕同様おしゃべりな子供で、周囲の子供たちよりずっと話題が豊富だった。僕の話題のほぼすべてに同程度の知識量で返してくる、そんな子供だったから相当他の子供より気に入っていたことは今思っても明らかである。
そしてその感想から彼の「自分のことは話すから君のことも更に教えてくれ」が便せん3枚にわたって繰り広げられている。饒舌なやつめ。
それが終わると彼の中学生活について細かに記されていた。
どうやら彼の学校の給食事情は複雑らしく、給食が配給されるまでの手順について分かりやすく色分けまでして便せん2枚分書かれていた。饒舌なやつだ。
最後のページには何故か突然始まる文通しりとりがあった。
加えて彼は便せんの裏を活用し、当手紙がどのような手順で動くのかを図解している。かわいいやつだ。
そこには僕が仕舞った手紙をまた読むところまで描かれているので、彼が出るところに出たのならそうとうな大物になっていただろう。
4通目
前回から半年後に送られてきている。
しかし、この手紙は前回の僕の返信を受け取ってから書き貯めていたようで、切手が100円分貼られており、豪華ボリュームとなっている。
ほぼ彼の日記と化しているためか、その日の天気についても詳しく書いてある。史料価値が高い。
また、内容も彼の勉強事情へとシフトし、細かに定期テストの結果も記されていた。飽きたのかね。
かと思えば突然に、彼の身に降りかかった災難について書かれ、しばらく時期があく。(この間も書いた日付が記されているため、完全に彼の日記が郵送されてきている状態である)
日付が夏になるとカブトムシの育成状況について書かれる。
そして秋にかかると文化祭のこと、冬になると学級閉鎖のことになる。
そして返事が遅れたことを詫びた1枚で締められていた。
最後の手紙
手元にある彼からの最後の手紙は、4通目の翌正月の年賀状だった。
そこにも手紙の返事が遅れていることを詫びている。
ゆえに以降、やり取りがあったとしても自然消滅しただろうことがうかがえた。
文通というほど数を交わしていないようにも思えるが、手元にある文量だけで便せん50枚はあるので交わした言葉は多い。
こう見てみると、再生される他人の日記はかなり面白い。
そこに自分が介在していればなおさら。
そこで今の彼はどうしているのかと気になり、検索した。
彼の名前は非常に珍しいため、FaceBookくらいはすぐに見つかるだろうと思った。
見つかった。
特に熱心に投稿をしているわけではないようで、アイコンとカバー画像を変えたことしかわからない。
彼のライフイベントには
既婚 2016年
と書かれていた。
おい
かつての2番目の友人の知らぬ間に結婚すな
僕の目の前から放り投げた様々なリアリティを最後に提供すな
俺の思い出を返してくれ。
なんて彼らに請求する権利はないのだけれど。
僕だけ独り、いつまでも思い出にすがっているのはあまりに惨めじゃないか。けれども僕は、この手紙を捨てられずにまた仕舞うのだ。
僕の思い出の話
僕が死んだら~を読み返して思いましたが、
僕と連絡つかなくなることは諸君のライフイベントを起こすことと同義なのかね。
いよいよ僕は子供時代に囚われているだけになってしまいました。
眠剤で安眠を得ます! おやすみ!