
【進撃の巨人】進撃の巨人は、悪魔である自分とどう向き合うかの物語でもあると思う
〈はじめに〉
考察ではなく個人の感想なので、こういう考えの人もいるんだなーくらいの感覚で読んでいただけると有難いです。
最終話読了かつ進撃オタの方へむけて書いています。ネタバレあります。
1.欲望とその結果について
エルヴィンは地下室に行きたい気持ちに"夢"という綺麗な言葉を使うけど、その実情は夢というよりはザックレーと同じで言わば"欲望"。
私の中ではエルヴィンと19歳エレンはすごく似ている存在で、エルヴィンもそして19歳エレンも、100%皆のために動いてる訳ではなく、自分の欲望のためだけに動いてる確固たる部分がある。
もちろん、エルヴィンなら"巨人の謎を解明して人類が自由になるため"、エレンなら"パラディの皆を守るため"が主目的ではあるんだけど、それはそれとして、という意味で。
その部分がたまたま結果的に皆のためにもなる状況だから、はたから見れば正義や皆のために大事なものを捨ててる凄い人に見えるし、皆はその恩恵に預かって利を得られる。
エルヴィンでいえば、世界の真相を知りたいという欲望が調査兵団団長としての職務とうまく合致した。
エレンでいえば、世界を平らにしたいという欲望がパラディを救う手段としてうまく合致した。
どちらも、欲望が実現すればその時の状況は皆の利となる。
ただ、その人がその欲望を叶えようとすると、皆の利と同時に多くの人を傷つけ死なせる結果をも生み出す場合、それによって利を得る人たちはその人の行為を許していいのか否か。
許す許さないじゃなく皆の利の為には見逃すしかない事なのか。
その場合その当人は、決して褒められたものじゃないと自覚している自分の欲望を叶えるために進み続けるのか、それとも諦めるのか。
"こいつは悪魔になるしかなかった
それを望んだのは俺達だ"
とリヴァイは言うけど、それはあくまでもリヴァイの考えで、エルヴィンが本当にそうだったのかどうかは別の話だと思ってる。
エルヴィンもエレンも一見、"皆の為に悪魔になるしかなかった"ように見えるけど、実際は自分の欲望のために自ら進んで悪魔になった面も確実にある。
エルヴィンには、世界の真相を知りたいがために詐欺師のように人々を鼓舞し続けた一面がある。
エレンには、平らになった地表を見たいがために罪のない人々を踏み潰した一面がある。
最終的にエルヴィンは"夢を諦めて死んでくれ"とハッキリ言われた事で、欲望を自分の中に封じ込めて人類の未来のために命を使った。
エレンはミカサに切られた事で、地ならしをそこで終え、世界から巨人の力を消し去った。
どちらも"自分の欲望を叶える為にした悪魔としての行動"を"皆の為にやった正義の行動"に昇華させて人生を終わらせることができた。
2.それでも完全な悪魔にはなりたくない
エルヴィンはあのまま地下室に行っていたら、エレンは全地表を地ならしし終えていたら、欲望の完遂と同時に完全な悪魔に堕ちていたのかもしれない。
でもどちらもギリギリで完遂ならなかった。
悪魔に堕ちてもいいからやりたかった欲望を最後まで叶えられずに命を終えることは、本人にとって幸せなのか不幸なのか。
それを考えたときに。
・エルヴィンはリヴァイに"ありがとう"と言った
・エレンは切られる直前にミカサに微笑みかけたようにも見えた(私にはそう見えた)
どちらも、欲望を断ち切った相手に感謝をしている(ように見える)のは、なんとかギリギリ本当の悪魔に堕ちずに済んだからなのかなと感じる。
欲望が消える事はなくとも、やっぱり本当の悪魔にはなりたくない。自分を信じてきてくれた仲間たちに顔向けできる自分でありたい。
そういう気持ちも確かにあったんじゃないかと思える。
欲望を叶えることよりも、それを断ち切ってもらって人の心をギリギリ保てたことの方が結局嬉しかったのかもしれない。
悪魔に堕ちてでもやってみたい事がある。
でも本当の悪魔には堕ちたくない。
その矛盾する気持ちに正しい形でケリをつけてくれた人が一番身近にいる人だった2人。
リヴァイやミカサがいてくれた2人は本当に幸運だったし幸福だったと思う。
〈さいごに〉
しつこいですが、個人の読書感想文です。
正しい解釈でも考察でも思想の押し付けでもありません。
読者の数だけ感想があり、感想の数だけ正解があると思うので、考え方合わないなと思ったらページを閉じて忘れてください🙇♀️