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【進撃の巨人】始祖ユミルとエレンと自由について
ユミルちゃんがエレンを道へ導いたことへの個人的な印象です。
【最終話ネタバレあり!】
すごく個人的な感情に基づくのと、辻褄の合わない部分もあるかと思うのでこれはあくまでも考察ではなく感想文です。真実には迫っていません。
1.ユミルちゃんとエレン
ユミルちゃんが"待ってた"のはミカサかもしれないけど、"自分を重ねてた"のはエレンなんじゃないかっていうのを実はずっと思っている。
フリッツ王に「お前は自由だ」と言われても自由がなんなのかわからなかったユミルちゃん。
ユミルちゃんは『自由』とやらを解りたかった。
エレンがグリシャに「お前は自由だ」と言われた事で、自分と同じ事を言われたエレンに答えを求めて道へ導いたのか。
それとも
エレンを道へ導くために、グリシャにエレンに対して「お前は自由だ」という言葉を言わせたのか。
真相はわからないけど、どちらにしてもエレンがどうやって自由を獲得するのかを知りたかったから、エレンが自由へと突き進むのを手助け(オカピで皆の邪魔したり)して、エレンが地ならししてる最中もその様子をつぶさに見学(ラムジー達が潰される様子を見てる描写がある)してたんじゃないかと思える。
2.じゃあ自由とは?
自由の解釈は人や状況によってだいぶ変わる。
"エレンの考える"自由は何だったのか。
それをあらわす一番象徴的なシーンが、131話「地鳴らし」でめちゃくちゃに人も家も踏み潰しながらキラキラした笑顔で言う「自由だ」。
すべて消し去ってしまいたかったと言うエレン。ついに辿り着いた、と。
私が思うエレンにとっての自由は、"外的制約が無いこと"。
自分の望みを邪魔するものすべてが排除の対象。
だからすべてを踏み潰す。
ユミルちゃんはそれを見ながら
「これが"自由"なのかな、だとしてもエレンは苦しそうだ。これは本当に自由なのか?」
と疑問を感じたとして。
その後エレンはミカサによって断たれる。
狂気的な願望から解き放たれて安心したように目を閉じたエレンの表情。
それを見たユミルちゃんは、"終わらせる事=自由の獲得"なのか、と思って、自分の中に巣食う王への想いを終わらせる。
終わらせる事で、『自分で自分の行動を決めて動く自由』を獲得した。
3.終わらせて得る自由
"終わらせる事=自由の獲得"は、実際リアルの世界でもよくある事で。
例えば学校を卒業するのも自由への扉だし、
例えば進撃の連載を終えることは先生にとっては"時間を好きに使える自由"や"新しい作品に挑戦する自由"の獲得でもあるんじゃないかと思う。
ユミルちゃんは、自由になる事と同義だと確信していたわけではないけど、とにかく、永遠に続く苦しみを終わらせたかった。
2000年もの間終わらせる事ができなかった苦しみを。
そこへ、終わらせてやると言ってくれるエレンが現れた。
というか、終わらせてくれる人をユミルちゃんが自分の元へと導いた。
"終わらせる"行為の実行者として、実際にエレンの首を断つ役目を担うミカサをユミルちゃんは待っていた。
終わらせる必要がある行動をしている存在として、自分をエレンに重ねて見ていた。
そう考えてしまう。
〜最後に〜
進撃は読むたびに新しい感想が生まれたり、読む人によって全く違う解釈になる作品だと思います。
これはかなり個人的な偏った解釈だと思っているので、そう考える者もいる、くらいの感覚で読んでいただけたら幸いです。