除夜の鐘でも消せますまい
いちはらさん
12月になりました。北海道は雪が降ったそうですね。
世の中は一気に年末モードですが,こちらはつい先日までだいぶ暖かかったせいか,わたしは気持ちがまるで追いつかず。なんだか足元がふわふわとする師走の入りです。
***
そう,そうなんですよね。"Don't think, feel." は,たぶん大事な姿勢で,それはよくわかるんだけども。そのときわたしが feelしたものを,なるべくそのまま伝えられる言葉をもちたい。できれば誰かと共有したい,という,欲求。
情報を共有することで生物はサバイブしてきた,という説に首肯せざるをえないと思えるような,どうにも根源的なところにある,欲求。
報酬系が動いていないわけがない気がしてなりません。
***
「いちどプロのバレエを見てみたい」と思い,ちょうどこの季節にかかる演目『くるみわり人形』を観劇したのは,たしか8年ほど前のことです。
ハコの構造上,音源こそ生演奏ではなかったですが,プロの踊り手による圧巻の身体表現と,豪華絢爛な衣装と舞台装置。あぁ,おとぎ話の世界が目の前に…! と終始大興奮で迎えたラストシーン。
……主人公の女の子が,まだ暗い部屋でパチリと目を覚まし「クリスマスの朝だ!」と飛び起きてカーテンをパッと開けると,外に広がる白銀の世界,まばゆい陽光が部屋をすみずみまで照らします。くるりとベッドを振り返ると,枕元にはプレゼントのくるみ割り人形が。女の子はこれ以上ない喜びを胸に,人形を抱き上げ,頬擦りをする……
この一連の流れでですね,わたし,感極まって号泣してしまったのですよ。
閉幕後,呆然と劇場をあとにして,ふと目についた看板のピンクの象に招かれるままふらりとお店に入り,おしぼりで目を冷やしながらビールをつぴつぴと飲むあいだじゅう,ラストシーンでわたしに巻き起こった感情について考えていました。
踊り手さんの表現力と演出の力は,たしかにほんとうにほんとうにすばらしかったのです。でもこれ,悲しい話ではもちろんありません。では,涙を誘うほど感動的なストーリーか? と問われれば,そういう類のものでもない。
あれはなんだったんだろう…と考えても,どうにか言語化できたのは
「ある少女の人生における,一点の曇りもない,優しい光に満ち満ちた一瞬を目の当たりにして,名状しがたい感情が溢れてしまった」
くらいのもので。
いや,"名状しがたい" じゃないんだよ。もっと,こう……
もう一度,考えだしたわたしの脳に浮かんだのは,とあるハリウッド映画の一幕です。
関係が破綻しかけた夫婦が,諸事情でドライブに出ます。ささくれだった雰囲気の中,女性が捨て鉢気味に「ねえ,わたしにはじめて出会ったとき,どう思った?」と男性に尋ねます。言外に(どうせ軽いお遊びのつもりだったんでしょう?)という雰囲気をたっぷりまとわせながら。
男性は,切なげに,少しだけ懐かしそうに,こう返しました。
「……クリスマスの朝みたいなひとだなって……そう,思ったよ」
クリスマスの朝,か。
欧米人,あるいはキリスト教徒にとっての「クリスマスの朝」がどれほど特別なものなのか,「いわゆる日本のクリスマス」しか知らないわたしには,きっと理解しえないものなのでしょう。
理解できないものを言葉にすることは難しく。また,言葉を尽くすほどに「コレジャナイ」感が強まることもあります。
それでも,あのときわたしが feel したものがなんだったのか。これだ! っていう表現で言語化することを諦めたくない。
いつだって「そのための言葉」を探している気がします。
誰かに伝えるためでもなく,だれあろう,欲深いわたし自身のために。
2022.12.2(西野→市原)