つうといえば オートバイ
いちはらし
市原氏からの手紙を読了後,これまで考えたことのなかったゼニゴケの虚無について思いを馳せながら,もうこれ以上の水分は運べません!とでも言いたげな黒く分厚い雲の下を,子どもの手を引きながら自宅に向かってテクリテクリと歩く。
梅雨空だなあ…
コケの愛好家にはよい季節だろうか。あるいは,愛好家は外気温・外湿度になるべく影響を受けないような環境でコケを愛でるものだろうか。
そういえば2年ほどまえにビールを飲んだデパートの屋上,その片隅に,面積はそこそこ広いものの,なんとなくうらぶれた雰囲気の「植栽販売コーナー」があった。
酔い覚ましがてら興味本位で覗いてみると,たとえば私の膝ほどの高さのある大ぶりな陶器製の鉢だとか,池の周りに設置するらしい行燈だとか,そうした,狭小住宅の住民にはあまり縁のなさそうな品々が並ぶ,その間を,ゆらゆらと歩いた。
大型(金額もサイズも)の商品から顔を逸らしたその先,ちょうど目の高さに「ミニ盆栽」がズラッと陳列されている。「どんな客層にも応じる姿勢,さすが百貨店」などとひとり納得して,席に戻り,ビールをもう一杯注文した。
そうか,コケ愛好家の方々は,たとえばああいう場所で情報収集をするのk…
「かーさん,おかねもってる?」
おぉ,やぶからぼうにどうした。それにしても,わたしはいまゼニゴケからの連想を続けていたわけなのだが,ゼニのことを聞いてくるとはまた中途半端な以心伝心だな。おもしろいけども。
「あのね,じぶんようのバイクがほしいなーっておもうんだ こんど かってほしいんだよ」
あぁ。ついに。この世でもっとも大事なもののひとつであるゼニの話をする時がきたか。少し身構える。
うーん,そうか。バイクほしいかあ……でもなあ,バイクをかうお金はないなあ
「えー? かーさん おかねもってないのー?」
いやなんでやねん。
そう突っ込みたくなる気持ちを抑え,どう説明したら伝わるものかと考える。考えるも,言葉がなかなか整わない。
日頃から「コミュニケーションとは」「伝わる言葉とは」をぼんやりと考えては,なんとなく実践してきたはずで。それなのに,いざ立場や年齢が異なる誰かを前にしたとたんに自身はまったく無力な存在なのだと,この一瞬で思い知る。
それでも,わたしはこたえねばならない。伝えねばならないだろう。
あのね,おかねっていうのは,あるだけ使っちゃったらとても困ることが多いんだ。なんでかっていうt…
「あっ!」
慎重に言葉を重ねようとするわたしのことなど見向きもせずに,突如 たたっ と小さな路地に入っていく。呆気にとられていると,住宅の外壁あたりで立ち止まり,わたしを呼ぶ。近寄ってみる。すると,壁と歩道のスキマを靴の先でゴリゴリと削りながら
「みて コケ」
なんだ,やっぱりコケの話なのか。忙しいな。……というか,コケに負けたのかわたしは。ええっと,そうだ。コケといえば,かーさんのお友だちはこのゼニゴケが苦手らs…
ぽつ ぽつり
「かーさん! あめふってきた! はやくかえろう!」
うん。そうだな。かえろう,かえろうな。忙しいな。
慌ただしく歩き出し,なんとはなしに振り返れば,小さなつまさきに蹂躙された跡が恨めしそうにこちらを見ていた。
(2021.6.18 西野→市原)