見出し画像

シリウスのかがやきに安堵を覚える冬

いちはらさん

年越しはいかがでしたか。

わたしは実家に戻りまして,1年ぶりに弟ファミリー(5名)も合流し,それはそれは賑々しい年末年始となりました。

子どもたちが休みなく発する音量に大人たちの鼓膜と精神が疲れてきて,ちょっとクールダウンしますか…という頃合いで,有志で家の近くを流れる阿武隈川へと向かうのが,ここ数年では里帰り中の恒例イベントになっています。


去年とはうってかわって雪のない乾いた路面を川に向かって歩いていくと,山鳩やカラスの声にまぎれて,うっすらと聞こえてくるのは白鳥の声。

どれどれ,と土手を登ってみれば,あぁ,今年もいらっしゃいました。白鳥さま御一行です。


キレイだねえ,たくさんいるねえ,あれはまだ子どもかな,と,しばし鑑賞。でも,日差しは暖かいけれど,風は冷たいし,動かずにいると,さすがに寒い。

じゃあね〜と手を振り,どことなく木管楽器を思わせる白鳥の声を背にして,(首の長い生き物の鳴き声って,みんなこう ”ボワァー クォワー” って感じの音するのかしら)などと思いながら,川縁の歩道をしばしまっすぐ。橋の先にあるコンビニに寄って,ぐるっと町内を一周して帰路につきます。

20分ていどの外出を終えて実家に戻り,玄関先で母に借りた東北仕様のコートを脱いでいると,フードのボタンが髪にひっかかりました。

いててて,と苦闘するわたしを見かねた母がボタン外しを手伝ってくれたのですが,わたしがありがとうと伝えるより早く,彼女は驚いた顔で,こう言いました。

「…あなたの髪,こんな手触りだった? びっくり」

えっ。そ,そうね。けっこう長いこと,こんな手触りだとおm……いや,そんなこと言われると思ってなかった,こっちがびっくりだよ。

互いに「ははは」とよくわからない笑いでその場をにごしつつも,母はどことなくショックを受けた風で。そしてどうしてだか,わたしも同じくなのでした。

あぁ,でも,そうか。

少し冷えた足先をストーブの前で温めながら考えます。

母が私の頭を撫でるなり,髪を梳かすなりしてくれていた頃から,少なくとも30年以上が経っていて。

変わったのは私の髪質なのか,母の記憶なのか,その両方なのかはわからないけれど,「変わらない」と意識すらせず信じ込んでいた何かが,ふと「実は変わっている」ことに気づいてしまった瞬間。

本来は、変化しないでいることにこそ我々は根源的な安心を感じるはずである。変化とは原則的にエントロピーの増大であり、それはホメオスタシスを崩すことに繋がる。乱雑さに突進していくなんて、生命としては危険極まりない。自分という秩序がノイズに戻ることこそが死だ。
死に抵抗する我々は変化に敏感になる。
前と比べて変わることを本能的に恐れる。

できればずっと変わらない場所で/Shin Ichihara/Dr. Yandel

おそらく母は,そしてわたしは,不意打ちのように,変化に直面してしまったのです。

そしてきっと,無意識に,死を連想したのではなかったでしょうか。よりによって,お正月という,変わらぬ家族団欒を確認していたはずのタイミングで。

***

弟ファミリーの長男氏は,冬やすみの宿題として「星空観察」があるというので,なんとなく付き合いで一緒に外にでて,夜空を眺めます。

よく見えるね〜! とはしゃぐ長男氏と,眠そうな次男氏。長男氏に「ほら,あれがオリオン座でね…」と説明する,家長たる弟氏。

見上げれば,冬の大三角は,昔と変わらない姿で冬の空にありました。

(2023.1.13 西野→市原)