あそこは貧民街だから
まだメキシコに来て間もない頃、不思議に思ったことがあった。
それは、会社の事務所がある町ではなく、その隣町に住むよう勧められたこと。人事担当者も、他の日本人社員も、それを前提にアドバイスをくれた。「みんなそちらに住んでますよ」という感じだった。「会社の立地するところは治安があまりよくない」という話も聞いた。治安は最優先事項なので、私はそれなりに納得した。
でも、メキシコ人の社員では、会社の近くに住んでいる人もいる。後からわかったが、むしろ多数派だ。
同じ頃、知人の紹介で、ある駐在員の男性と会った。
そして家探しの話になった。聞くと、彼の勤務先も私のと同じエリアにあるが、やはり隣町に住んでいる。上司や同僚にはなんとなく聞けなかったことを、あまり知らない相手だからこそ尋ねてみたくなった。
「どうして〇〇には、日本人は住んでいないんですか」
即座に、彼はこう吐き捨てた。
「あそこは貧民街だから」
私はショックを受けたので、その一言をよく覚えている。
貧民街。
そこに住んでいる人たちと、彼も一緒に仕事をしているはずなのだ。メキシコ人と日本人との隔たりの大きさを予感した。
もちろん、彼は一個人に過ぎず、いろいろなケースはある。それはその後、わかってきた。メキシコ人のパートナーがいる人も複数知っている。それに、貧富の差が大きく、生活や価値観に幅があるので、メキシコ人を一括りにはできない。
しかし、次のようなこともある。
同僚、上司、友人など、関係性を問わず、日本人同士が集まると、「メキシコ(人)はダメだ」というような愚痴を誰かが言う。そして周りの人は同調する。「ダメ」というのは単純化した表現だが、主旨としては、「悪い意味でいい加減」というのが多い。
それは必ずしも偏見だけではないのだが(品物のクオリティが低いとか、ちょっとした金品の盗みなどの軽犯罪が多いとか、マフィアが牛耳っているとか)、毎度同じような話になるので、正直にいうと、私は飽きてしまった。
私がメキシコに来た理由のうち、一番重要なものは、自分の知らないもの、多様なものに触れたいという思いだ。
日本人(ここでは、メキシコ人の家族を持たない日本人就労者。現地採用の人も含めて)がどういう生活をしてなにを考えているのかというのも、初めは目新しかったが、それはなかなかに単調なので、もう十分、という気持ちだ。それに、私と好奇心を共有する人が少ない。
「日本人のお客さんは、俺たちを差別することもある」
数ヶ月間、毎日のように一緒に仕事をしていた現場スタッフが、異動になる直前にそう言った。やはりそう感じているよね、と思った。
私はこう答えた。
「彼らは自尊心を保つためにそうしてるんだと思う」
ほとんどの駐在員はスペイン語が話せない(中には、勉強して身につける人もいるけれど)。しかも、この国では英語が通じない場面が多々ある。言葉ができないということは、弱い存在になるということだ。
にもかかわらず、その日本人たちはマネージャーや社長であり、管理・監督する立場にある。
彼らがメキシコを見下すのは、そういうねじれた状況でなんとか自己を守るためだと私は理解している。
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