黄金色の絨毯?尾瀬の草紅葉(くさもみじ)
異次元空間は、世界のヘンテコを追う同人誌「異次元空間」のオンライン版で、風変わりな場所と構造物の紹介がメインです。
秋という季節をやや影が薄いように感じるのは筆者だけであろうか。気温がぐっと下がり、秋が深まる頃には既に街はすっかりクリスマスムード一色になってしまうので、よくよく周りを見ていないと秋は感じにくい。
今回はそんな儚い季節、秋を一足先に感じられる場所、尾瀬の草紅葉を紹介してみたい。
音楽の教科書にも載っている曲、夏の思い出で知られるように、水芭蕉の花が咲く夏が有名な尾瀬一帯だが、湿地の草が紅葉する草紅葉(くさもみじ)と呼ばれる時期がある。9月中旬から10月上旬までの、限られた期間だけ見ることができるものだ。
写真中央に見えるのは尾瀬沼だが、そのほとりにはオレンジ色に染まった部分がある。これが尾瀬の草紅葉だ。
9月に入ると木々はまだ緑に覆われていますが、湿原の草の先端からオレンジ色になってきます。 日差しに向かって湿原を見ると、湿原全体が金色に光って見え、それが風にそよぐさまに誰もがカメラを向けます。
尾瀬保護財団ウェブサイトより
草紅葉の時期になると、尾瀬全域でこのように草が黄金色に染まる光景をみることができる。あたり一面の地面が一色になるさまは美しいの一言だ。この色は枯れ草の色ともまた違う。
草原の中には2本だけ大きな木が生えていた。そこだけは海に浮かぶ小島のようだ。
草地に敷かれた木道の上を散策していくのはまさに尾瀬といった風情だが、尾瀬の代名詞ともいえるこの木道にもストーリーが隠されているという。
維持費は一またぎ約6万円、全長約60kmの木道網
最初の木道は昭和27年(1952)、大江湿原〜赤田代間に設置されています。
森から伐り出した木材や倒木をぬかるみのひどい場所に置き、登山者が歩きやすいよう整備したのがはじまりです。
ところが昭和30年代の観光ブームで尾瀬を訪れる人が急増。木道から外れて歩く人も増え、湿原の踏み荒らしが問題に。木道には「多くの登山者から湿原を守る」という役割も加わります。
昭和30年代後半には行政や東京電力(群馬県側の土地を所有)も木道整備に取り組み、域内約60kmにおよぶ木道網が完成。尾瀬の厳しい自然環境では木道の腐食も早く、途中は軽量コンクリート製・ウレタン板・アルミ板の道も試験導入されます。ところが「滑りやすい」「景観を損なう」と登山者には不評で、けっきょくは木道に戻されました。
トラベルロードウェブサイトより
草紅葉の中にある小川を渡る木道。尾瀬全域に渡って架けられている木道は数年に一度取り替えられるというから驚きだ。
尾瀬国立公園全体では、約65㎞の木道がありますが、そのうちの約20㎞を東京電力HD㈱が所有し、弊社が管理しています。木道の材料には、折れにくく水に強い国産のカラマツ材を使用しています。防腐剤を使用しないため、湿原の中では10年前後で架け替えが必要となり、毎年計画的に整備しています。これらの材料はヘリコプターで運搬され、施工は大型の建設機械が持ち込めないのでほとんどが人力で行われます。最後に、整備年の焼印が押されます。
東京パワーテクノロジーウェブサイトより
草紅葉は日の当たり方で色が変わる。順光ではオレンジがかって、逆光では黄色がかって見える。写真はやや逆光で撮影したものだ。
紅葉というと木々の紅葉のイメージがあるが、草が紅葉するさまもまた綺麗だと思わせる尾瀬の草紅葉であった。
日本にはまだ見ぬ不思議な光景があるものだ。
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