
ジンバブエ:1997年8月~2000年9月ニャンガ アフリカ
当時、南部アフリカの内陸国マラウイの首都リロングウェで1997年から3年間働いていた。休暇がとれた時は周辺諸国へ行ったものだが、写真は隣国ジンバブウェの東部高地ンニャンガの麓に位置するホテルの部屋の前である。
実はこれが初めて訪れる場所ではなかった。遡ること1985年に妻と一度訪れたことのある思い出の場所だった、つまり感傷旅行でもあった。ジンバブウェの独立は1980年で、当時経済も順調で、首都ハラレはケニアのナイロビなどよりもはるかに洗練された魅力的な街だった。白人農場主が経営する単位面積あたりの農業生産性は、アメリカよりも高く世界一だった。もちろん様々な国内問題の矛盾が噴出す前で、またロバート・ムガベがトチ狂う前で、インフラも先進国と同じような状況だった。そんな中、ハラレでレンタカーを借りて、単純に地図を見て東の方へ行ってみようという理由だけでニャンガ国立公園へ向かった。
何も怖くなかった。ジャカランダが咲き乱れる時期だった。ニャンガに近づくにつれ高度も上がり、空気が透き通り、光線は鋭く、ファインダーの中の影部分が真っ暗に見えた。観光客など皆無で、山の上のワールドビューと呼ばれる場所から見る地平線は一生忘れることができないと思った。麓に戻りイギリス系白人が経営する平屋のホテルに泊まった。高地の冷え込みのためかロビーには暖炉があり、老婆がロッキングチェアーに座り本を読んでいたことを覚えている。それから15年後の1999年にまた同じ場所を訪れることができたのだ。
「アフリカの日々」の世界は変わらず、まさしく残っていた。ただ老婆はすでに他界しており、85年ごろホテルの周りに建物など1軒もなかったのに人家が増えていることが驚きだった。
また同じ部屋に泊まることができた。娘にとっては当然初めての出来事だった。
