志村喬主演「生きる」を観て感じたこと
志村喬が演じる典型的な小役人が胃がんで余命1年を宣告されて、自暴自棄になった時に出会った貧しい女性(玩具工場の女工)と出会う。病気のことを息子夫婦にも話せず、理解してもらえず悶々時にその女性と出会い、自分が為すべきことに気付く。それは住民からの陳情(公園整備)が各課の縄張り意識のせいで店晒しになっていることでした。部下や他課の反対を無視して公園整備に動き出す。市役所の多数の部課に整備の必要性を説き、目下の人にまで頭を下げて回った。上げ膳据え膳の料理を食べるだけの助役のところにも日参し、ある時は暴力団の一段の脅しにも屈せずに整備計画を訴え続けた。極めつけは公園整備の恩恵を受けるおばちゃん達を助役室に招じた行動です。映画の時代設定の時は市民参画と言う考えを持った市民や役人はいなかったが。志村喬演ずる市民課長が挑戦し始めてから5ヶ月目で死亡する。その葬儀の場面に新聞記者が自宅に押し掛けて、「課長の尽力で公園整備が実現した功績を助役達が横取りしたのではないか」と市民が噂していると質問した。落成式での助役の挨拶はまるで自身の選挙演説だと揶揄されて苦虫を潰す。課長の尽力に対する評価が気に入らない、助役や部長達は早々に退席する。残った課長や係長や主任等は気が引けたのか助役の悪口を言うも、自分達に累が及びそうになると「役所では出る杭は打たれる。他人の縄張りには手も足も口も挟んではいけない」と自己弁護を始める。一人だけ、課長のことを評価する人がいたが、多勢に無勢で役所根性に流されそうになった。公演の恩恵を受けた貧しい女性等が弔問に訪れて、言葉少なに首を垂れている姿に課長等も目頭を押さえていた。
終わり頃に警察官が課長の帽子を持って、弔問に訪れて課長の最後の様子を話し出すと息子夫婦も父親の偉大さに涙を浮かべていた。映画のフィナーレの場面で変身後の課長のことを思い出すシーンが秀逸であった。
この映画での気付き1は
山と積み上げられた書類の束は役所は仕事を先送りにするが書類を残す。然し、書類の山に隠れた書類を見直して、事業化の優劣をつける体制に無いことです。首長や市会議員等の口利きで優先順位がたちまち入れ替わる、節操のなさ、市民の幸福は考慮しないことです。
この映画での気付き2は
助役や部長は自分達の目的に沿う意見には直ちにGOサインを出すが、そうでないと屁理屈をこねて先送りしてしまう。課長や係長や主任も長いものに(首長等)に巻かれて、住民の幸福は後回しにしがちです。特に各課の縄張りを守れば良しとする縦割りと責任逃れに汲々としている。
この映画での気付き3は
目障りな人物に対して事実無根の噂話、邪推を針小棒大にして貶める傾向があることとです。課長が付き合った女工さんとの様子を見た親類の男が「若い娘と会って、若返りのエキスを貰ったのでは?」と邪推していた。この映画を最初から見ていない人にはそう見えても仕方がないが。
課長が公園で死ぬ間際に歌っていた「命短し、恋せよ乙女…」(ゴンドラの唄)は何かをやり遂げた気持ちが現れていたと警官が述べていた。役人魂で急がず、慌てずと過ごして来た人生の愚かさを貧しい女工やおばさん達に気付かされた。人間、一念発起すれば、何かを成し遂げることが出来る。
追記(1月9日)
女工さんの貧しさは彼女が課長の部屋から出て行くシーンで靴下のかかとが抜けていることで分かりました。当時はつぎの当たったズボンなんて、当たり前でしたが、そういうカットでセリフのない描写でした。小津安二郎と違うカメラワークですね。
課長以下の職員が酒を飲みながら、渡辺市民課長が公園建設に奔走し始めた理由を各自が見聞きしたこと、自分達はそのことで迷惑を被っていたと口々に言い立てていた。然し、冷静になれば、自分達は誰のために働いているのだと言う自責の念が湧き出したようだ。
この映画には出ていなかったが橋や公園等には功績者を称える石碑が建っている。功績者は真の功績者ではなく、たまたま職位が上だった人物の名が刻まれていることばかりです。
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