ふるさとの偉人について

5歳から19歳まで住んでいた行橋市の偉人は末松謙澄、27歳から現在まで住んでいる東海市の偉人は細井平洲です。末松謙澄を知ったのは7年前に恩師から末松の伝記や行橋市の歴史書を頂き、それを呼んでからです。偶然、図書館で借りた「逆転の日本史 幕末年代史論Ⅳ 高杉晋作と維新回天の謎」の中に末松謙澄の名前を見つけました。高知の坂本龍馬のあっせんで薩長が討幕の決意書(防長回天の史)を締結した。明治になってその内容を末松が公表した。幕末の動乱と無関係だった豊前の国の庄屋の息子でしかなかった末松は伊藤博文の知己を得て、英国留学を果たし、明治政府の高官を幾つか務めた。高橋是清とも。行橋に住んでいた時、末松謙澄について何も聞いていなかった。さて、東海市の偉人 細井平洲もあまり知らなかったが童門冬二(平洲歴史記念館名誉館長)の著書で知りました。平洲翁は江戸(現東京)で活躍した人で東海市ではあまり有名でなかった。平洲翁は上杉鷹山公の師であったことを童門冬二の著書で知りました。

<防長回天の史 要件三条>>
御名代への兵隊 西ノ宮まで 同所にて時機見合(わせ)
12月28日を期し京都に於いて挙兵 其の機に乗じ西ノ宮の兵隊入京
前条に引続 璽公間御上京 及び五卿方御帰洛の用意調次第発途

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