2024年の最終投稿です。吉田茂、岸信介、田中角栄のトリオです

昨晩の映像の世紀(バタフライエフェクト)は戦後の我が国を牽引した3人の政治家のつながり、今の日本を形作った裏話です。
<吉田茂>
戦前に外交官として力を蓄え、戦中・戦後に老獪な政治手腕を振るった政治家です。功罪相反する評価がつきまとうが原爆投下で日本人が落ち込んでいる時に外交官としての交渉力が活かされた。戦中から欧米、特に米国の圧倒的な経済力や軍事力の力を梃子にして日本国民にまともな生活を手に入れさせることを優先した。大都市の多くは米軍の無差別・じゅうたん爆撃で焼け野原になり、住む場所もなく町中をうろつく浮浪児の群れ、米国兵士の腕にぶら下がる女性の群れだった日本を早期に再生させた手腕は評価が分かれる。韓信の股くぐりの心境からか「国の防衛は米国にお任せ」と丸投げした。しかし、共産党勢力の伸長に不安を抱いた米国からの圧力を利用して約100ヶ国との平和条約締結の裏には非武装・軍隊の放棄が功を奏した。岸信介等のように太平洋戦争を指導した勢力は表と裏の顔を使い分けるきらいがあり、吉田茂は米国の力を利用した。一方、連合国の占領部隊が引き上げる際、警察保安隊と言う組織を創設して玉虫色の決着を図った。岸信介が戦犯、公職追放で動きが取れない間にくさびを打ったが「昭和の妖怪」ははねのけた。

<岸信介>
この話を巣鴨プリズンの獄舎の中で聞いた岸信介は激怒したそうです。岸は戦中に満州国の高級官僚として辣腕を振るい、「米国何ぞ何するものぞ」と言うプライドを抱いていた。
と言いながら吉田茂の戦略が功を奏して予想以上の速さで戦勝国との平和条約が締結された。岸は「条約締結が遅れていたら、今頃は絞首刑台で首を括っていた」と述べていた。吉田茂が一世一代の名演技で行った日米安全保障協定(片務的な)を国辱的条約と敵視していた。故安倍晋三が安保協定の改定で日本中が「反対」の騒動に身じろぎもしなかった祖父岸信介を湛えている
。然し、その時の岸信介のコメントは「国民の一部が狂信的に騒いでいるだけだ。マスコミはその騒動を煽っている」と述べていた。この考えは折角手にした民主国家の基盤を崩す暴言です。
吉田は吉田学校の教え子であった池田勇人を使って岸信介の動きをけん制するも現役を離れた人の力は効かなかった。池田勇人がもう少し総理を続けていたら、昭和の妖怪、それに続く孫も日本を好き勝手にできなかったかも知れないが。
<田中角栄>
雪深い裏日本出身で太平洋側が戦後の復興に沸いている時に、道路行政をはじめ数多くの立法で官僚の鼻を明かせた。
吉田茂は田中角栄を評して「」と評していたらしい。今太閤と持て囃されていたが、ロッキード事件で本当に逮捕される憂き目にあった。
興味深い田中の行動に建築基準法違反の疑義で東京タワー建設が中断している時の言動があります。彼は「東京タワーは建築物ではなく、広告塔だ。建築基準法の埒外だ」と言い、ストップしていた工事を再開させたことです。この事件で法律はその文言は解釈のしかたで有罪が無罪になることもあることを実感した。東京タワー完成の勢いにあわせて30数社も放送局を認可した。彼は放送局の効果にいつ気付いたのだろうか?昨今の選挙戦にSNSを使うなんて!!
<吉田、岸 VS 角栄>
吉田も岸も高級官僚のキャリアを持っていたが角栄にはそれがなかった。角栄は世論を読み、動かす政治家であったが米国のアキレス腱を突くミスを犯し、立花隆のようなジャーナリストの力を読み間違えた。


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