大賀清史の「余り知られていない20世紀の歴史」を読み返しました
この講演録は東海市立平洲記念館で3回にわたって講演したものです。
残念ですが講師の大賀清史さんの略歴が不明です。後日、報告したい。
前 編:2014年8月23日
続 編:2015年7月25日
完結編:2015年8月22日
司馬遼太郎氏の小説の功罪とは??
講演の中で司馬遼太郎氏の小説は事実ばかりではなく、やや購読者の関心を引く脚色が散見されると言っています。歴史=正史は勝者に都合の良いように書かれていると言われているが、司馬氏は膨大な資料をもとに歴史小説を書いていると聞いており、若干の脚色は止む無しでしょう。全てをあからさまに描けば、血沸き肉躍るストーリーは成り立たないでしょう。ましてや『エビデンスを』と言われれば、お手上げです。今ほど文書をデータベース化出来ていない時代のことは口伝で伝えるしかなかった。
アゼルバイジャンの女性研究者が『古事記』は素晴らしい本です。古事記が記述された時、アゼルバジャンでは口伝の抒情詩が少しあっただけだと話していた。また、小泉八雲は古事記などをヨーロッパに伝えたことで有名です。小泉は奥さんの姓で、八雲は古事記の中の和歌「八雲立つ出雲八重垣妻籠…」からとった。
太平洋戦争の日本軍の失敗談とは
終戦間際になって日本軍は暗号を変えたので米軍は慌てたらしい。ミッドウェー海戦なのかアリューシャン列島を狙っているのかが分からず苦慮していたらしい。日本軍の暗号の中に《AF》が頻繁に出て来るがこの文字の意味を特定できずにいた。米軍は「ミッドウエーの造水機が故障した」と言う偽情報を流すと、日本軍の暗号電文に《AF》が使われ始め、ミッドウェー攻略がばれたらしい。
戦端を開いた真珠湾攻撃は第1波、第2波、第3波攻撃で構成されていたが、第1波、第2波の戦果に酔いしれて、山本五十六長官の狙いが狂った。第3波で燃料タンクや造船所設備を破壊する計画であったが、現地司令官の山本長官の指示を守らなかったが処罰されなかった。真珠湾攻撃で損傷した軍艦はすぐさま修理されて戦線復帰を果たした。
プーチ大統領と手を組むべし
安倍総理存命中にロシアがウクライナに侵攻した時、プーチン大統領と取引をすれば良かったと大賀氏は言っていた。理由はロシアのLNGを確保し、日本のエネルギー安全保障と北方領土の返還の両方を手にする絶好の機会であったと。
確かに三国志などを読めば、『昨日の敵は今日の友』『敵の敵は友と言える』と言う戦略が何度も出てくる。
10年経過すれば、情勢が大きく変わるが
大賀氏の分析では10年経過すれば、情勢が大きく変わった事例がごまんとある。然し、我が国の指導者は目先の利益確保に右往左往するばかりです。情勢変化を引き起こした原因分析をせずに、だらだらと同じことを繰り返すばかりで、国民は疲弊するばかりです。日銀の異次元の低金利政策も効果や弊害に目をつぶっているだけです。終戦後に行った新円切替のような劇薬投与も必要でしょう。
マッカーサー元帥の変心と我が国の政治屋の頑固な頭
フィリンピンで日本軍に完膚なきまで叩かれて「Ishall return…」と言う言葉を残してオーストラリアに撤退した。その時に感じた日本軍と言うか、日本人の怖さを身にしみて感じた。そして、原爆開発の事実を知った元帥は日本人を骨抜きにし始めた。然し、天皇陛下が丸腰で元帥に面会を求め、「国民には罪はない。罪を犯した私を裁いてくれ」と言った言葉に感激し、本国の指示を無視し始めた。(この片は創作されたエピソードの匂いが!!)
元帥の言葉として「Their purpose ,therefore, in going to war largely dictated by security」と太平洋戦争は日本の存続をかけた自衛戦争だと言っている。ある意味で米国政府の横暴さに気付いたようです。
元帥の職を解かれ、帰国後の聴聞会で「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という名演説を残した。
わが国の政治屋は引き際を誤るのは金の魔力に侵されてしまうからでしょう。現在の森喜朗は至る所で醜態を晒しているが、そばにいる人々は諫言をしないで、おこぼれ頂戴をしている。
元帥の反省の弁とは
「中国において共産主義者をこれ程強くしたのが計算違いだった」と言う反省の弁を残している。現在、中国と米国(美国とも称していた)の激烈な争いを生んだのは中華民国(蔣介石主導)が中国共産党に敗れたことにある。中華人民共和国建国時は未開の国であったが国内の乱れを鄧小平が収めた。この辺りで米中接近が始まった。我が国も巨額の戦時賠償を放棄した中国に莫大な経済援助をしてしまった。
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