壷井栄の「二十四の瞳」が訴える

今朝、ラジオ深夜便の失望名言集で壷井栄の「二十四の瞳」の中に出て来る名言、映画化した木下恵介監督の映画製作の心構えから、世界で繰り広げられている紛争(戦争)の愚かしさを禁じえなかった。
木下監督は「二十四の瞳」が出版される前から壷井栄さんに「映画化を是非、やらせて欲しい」と電報で頼んだようです。インターネットもない時代ですから、電報が一番早かったようです。
セクシー田中さんのトラブルのように原作者と映像制作者の間に横たわる「意見の齟齬は一切なかった」と壷井栄さんは言っているそうです。
木下監督は舞台となった小豆島の風景を10万フィートも撮影し、この作品の物言わぬセリフとしたようですね。

日本の貧しさ、乏しさ、節操のなさが描かれている

大石先生が自宅から分教場まで8kmの距離を自転車で通う姿を島の人達は羨望の眼差しで見て、陰では「女だてらに」と噂していた。
教え子の一人が年季奉公のために学校を止めることになり、先生はアルマイト製の弁当箱を餞別に渡した。その子は弁当箱を宝石箱のように思い、後日その子を尋ねた先生に「大事にしているよ」と見せていた。
戦死者が出た家庭の玄関には遺族標が飾られ、お国のために頑張っていると誇らしげであったが、敗戦後は遺族標を打ち捨ててしまった。この辺が節操のない国民性を鋭く追及している。
戦争が激しくなると医者も看護婦もいなくなり、薬も容易に入手できず、お寺の鐘さえ供出、教え子の亡骸を収める棺を造る材料がなく、古いタンスで代用した。

戦争の影響は弱い者に最初にのしかかるのは何故?

お国のためだ、お国のためだという言葉に否応なく戦場に向かった男の子は失明して帰国する。まだ戦争中であったので名誉ある負傷と持ち上げられるも敗戦後の混乱下では生存理由を見失ってしまった。そして「死にたい、死にたい」と言うばかりの生活を送っていた。
何年後か、大石先生を教え子が慰労する会を開き、新しい自転車を贈呈するシーンはぐっと来ました。参加した教え子の中に失明した男の子(成人していたが)が集合写真を取り出して、「先生がどこにいて、同級生がどんなポーズをとっているかを克明に説明するシーン」はそれまでの苦しい時期を先生の愛情や同級生との思い出で耐えてきたことを無言のうちに語っていた。

紛争に巻き込まれて不安な日々を送っている子らに愛の手を

イスラエルのガザ地区、ウクライナ侵攻で数多くの子ども、母親、お年寄りが不安な生活を送っている。世の指導者は力の弱い人達に救いの手を差し伸べるどこか、不幸のどん底に突き落としていることを恥じるべきですね。




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