袴田冤罪事件について考えて見る
1966年に静岡県で起きた一家4人家族を殺害した容疑で袴田巌さんを逮捕し、起訴に持ち込み死刑判決を最高裁が決定した。我が国は地裁⇒高等う裁判所⇒最高裁と誤審を防止する仕組みがあるが、警察と地方検察が物的証拠や証人の発言を独り占めにするために高裁や最高裁が逆転無罪判決は太平洋で針一本見つけるに等しい非効率な司法制度だと言えよう。刑に服した後に「私は無実です」と叫んでも司法の壁は高くて、硬くて、厚くて無念の涙を飲む人が多い。
袴田事件の再審請求が長時間かけて再審開始が決まり、最高裁判所が証拠品に疑義を抱き、検証し直してようやく無罪判決に至った。
検察、警察関係者に何故このようなえん罪が生じたのか自己批判をし、その結果が公表された。その結果は最高裁から疑義を持たれた点のみを検証しただけで新たなえん罪が生まれる余地を残してしまった。
犯人逮捕の段階から「袴田さんが真犯人だと決めつけて取り調べをした」と報告書に書かれてあり、そのような誤った原因は何かについての報告がない。過ちが生じる捜査方法を改める改善案がなく、真犯人逮捕の機会を失った警察関係者の猛省を求めます。
50数年間も事実(検察、警察の過ち)に眼をそらし、袴田巌さんに殺人犯、死刑囚の汚名を着せた罪をどの様に受けて目ているのか。検察審査会から3点の疑義を突きつけられたら、その3点のみを弁明することでお茶を濁している。
他の再審請求で問題だと指摘された証拠品や改ざんが許容される調書の扱いについては言及せず。検察の言い分が「再審法の欠陥であるので、法改正に言及するのは越権行為だ」とだんまりを決め込んでいるようだ。それならば立法府が改正案を策定し、改正法を上程、可決すべきであるが。国会議員は自分の懐が潤うのでなければ見て見ぬふりをする馬鹿者ばかりです。国民民主党の玉木代表がその最右翼ですね。