初めにことばがあった~創世記との関係で分かること:ヨハネの福音書1章1-2節
今日からヨハネの福音書を新たに取り上げて行きます。先週まで取り上げたマルコの福音書とマタイとルカの福音書の3つには共通点が多いことから共観福音書と言われます。一方ヨハネはそれら3つとは違った視点でイエス様について書いています。ダイアモンドを別の角度から見ると新たな輝きが生まれるように、ヨハネの福音書ならではの新たな救い主イエス様の姿が輝き出てきます。 今回は冒頭のぎっしりと内容の詰まった2節から「ことば・ロゴス」について1.初めにことばがあった、2.ことばは神とともにあった、3.ことばは神であった、の3つの点を取り上げます。
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当該聖句
1:1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
(新改訳聖書2017年版より)
新座志木バプテスト教会 礼拝説教レジメ 2024/10/6
導入
まさに冒頭の序文にあたる1:1-18からしてマルコにはなかった新鮮な響きを持っています。小説やドラマの冒頭に主要な登場人物とその背景などがさらりと触れられているように、このヨハネ独自の序文には福音書がこれから伝えようとしている内容のすべてが要約され紹介されています。
それはもちろんイエス様ご自身のこととですが、さらにはそのイエス様に周囲の人々がどのように応答したのか、そしてその応答によってその人たちにどのような違いが起こるのかが記されているのです。
1.初めにことばがあった
「初めにことばがあった」1:1
ギリシャ語の原文も冒頭の言葉は「初めに(Ἐν ἀρχῇ)」です。マルコの福音書の冒頭の言葉もギリシャ語の原文では「初めἈρχὴ」でした。ヨハネの書き出しには創世記の冒頭の「はじめに神が天と地を創造された」と同じ言葉があえて使われています。それは神様がはじめに「光、あれ」と言って言葉によって世界を創造されたその「ことば」とヨハネの冒頭の「ことば」が同じものであることを指しています。
実はこの「ことば」はギリシャ語で「ロゴス・λόγος」といいます。さらに「初めに」には「歴史の初めに」や「宇宙の根源に」という意味があります。ですから冒頭の1文を詳しく言い直すとこうなります。「歴史の初め、さらにさかのぼって宇宙の根源にはすでに『ロゴスであることば』があった。」と。
さらに「初めにことばがあった」の「あった」は「絶えず存在していた」(be動詞の未完了形)ということを意味します。わかりやすく言いますと「『ことば』は絶えず存在していた。存在していなかった時期はなかった」という意味で、永遠に存在する神様の存在が示唆されています。
この1節冒頭の短い言葉に説明を加えて表現するとこうなります。「歴史の初め、さらにさかのぼって宇宙の根源にはすでに『ロゴスであることば』があった。その『ことば』は絶えず存在していた。存在していなかった時期はなかった」
2.「ことばは神とともにあった。」
では、このロゴスといわれることばは単なる力や理念だったのでしょうか?そうではりません。
人格のある「ことば」
「ことばは神とともにあった。」は、このことばには人格があったという宣言なのです。「神とともにあった」の「ともに」とは英語では” with”です。しかしギリシャ語では ’πρὸς (プロス)τὸν θεόν’で、プロスとはある方向に向かってという意味があります。つまり、そのことばと神がお互いにコミュニケーションをとっているという状況を表しています。
教会でがん哲学外来カフェを開催していますが、それを別名対話カフェと言っています。対話ですからお互いの間に言葉のやり取りがあり、共感や心や気持ちが通い合う人格的な関りがあるのです。ですから「ことばは神とともにあった。」ということから、「『ロゴスなることば』は神との間で心が通い合い対話が成立ていたゆえに人格があったので、『ロゴスなることば』は単なる理念や力ではなかった」ということが分かるのです。
ある学者はこの神を父なる神様ととらえてロゴスなることばとの関係についてこう説明しています。「ことばは…御父と最も近い結びつきの関係が存在していたのである。…ことばと神とは同一のものではないが、両者は一つに結びついているものなのである。」
3.「ことばは神であった。」
さらに「『ロゴスなることば』と神が別人格ならそれは神ではないのか」という疑問に答えるように、1節最後で「ことばは神であった。」と宣言されているのです。
ある学者はこの言葉についてこう解説しています。「これ以上の崇高なことは言いえない。神について言えることは『ことば』についてもぴったり同じことが言えるのである」と。
最初に創世記の1章とヨハネの冒頭が重ね合わされていると言いました。それには、次のような関わりもあるのです。
創世記1章では「神は仰せられた。…すると、そのようになった。」という表現が繰り返され、神の言葉によって世界が創られたことが記されています。それを連想させるように、ヨハネは冒頭で、この創造の御業と結びつけ、「『ロゴスなることば』は創造的な力を持ち、万物を生み出した神であった」と伝えているのです。
このように、ヨハネの福音書は神のことばであるイエス様に関する、新しい創造の物語だということが示唆されています。
さらに「ことば」は人の考えを示すための手段です。ですからここでは「ロゴスなることば」によって「神が人間が理解できるようにご自身を表して下さる」ということを示しているのです。
そして「ロゴスなるイエス様が父なる神様を表している」ということがヨハネの福音書全体のテーマになっているのです。
これからヨハネの福音書を通して、イエス様と父なる神様があらたな輝きを持って私たちの前に現れて下さることを期待してまいりましょう。
「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。」(1:1-2)