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神を見るクリスマス~出エジプトやイルミネーションとの関係等:ヨハネの福音書1章14節

新座志木バプテスト教会 クリスマス礼拝メッセージ 2024/12/22

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礼拝では聖書を深く広く背景から学ぶ楽しさを知ってもらおうとも考えています。そこでクリスマスですが、それは「キリストのミサ」という意味です。ですからキリストの誕生をお祝いするという意味があるのです。なぜお祝いするのかと言えば、神様が人となってこの地に下って来られたから、そしてその目的は人々を救うためにあったからです。

今日の礼拝で読んだ聖書の言葉ヨハネ1:14はそのことを最もシンプルに表した言葉なのです。シンプルでクリスマスの本質を的確に言い表しているヨハネの1:14のことばから3つの点を考えましょう。1,イエス様に神を見るとはどういうことか、イエス様はどのような神様かを表している「めぐみとまことに満ちている」という言葉の意味、そして最後に今の私たちはどうやってイエス様を見ることができるのか、を取り上げます。 

当該聖句
1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
(引用聖句は新約聖書2017年版です)

1.イエス様に神を見る

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。」(1:14a-c)

この1:14の言葉は、「神が人の体をもってこの地に下って来られた、それがイエス・キリストであった。」ということを本質的かつシンプルに表現しているのです。大事なことばの「ロゴス」の意味やその詳細は10月第1日曜からこれまでのメッセージをおさらいしてください。

テントと神なるイエス様の受肉

ところでお笑い芸人のヒロシさんが一人でキャンプをする「ぼっちキャンプ」が人気です。キャンプにはテントが欠かせませんが、「私たちの間に住まわれた」の言葉は神様がテントを張ってこの地上に住んでいるという意味なのです。

出エジプト記で荒野を旅したイスラエルの民の記録があります。砂漠を移動している最中に、移動式の神殿を木材や動物の毛皮で作りました。移動式テントの神殿を幕屋と言いますが、「私たちの間に住まわれた」は、そのことと関りがあるのです。

イルミネーションとの関り

またクリスマスには光がつきものです。クリスマスツリー、キャンドル、そしてイルミネーション等々。それは神の存在と光には深い関わりがあったからです。モーセの時代の移動式テントの神殿の幕屋には栄光の雲がみちあふれたとあります。

移動式テントの幕屋の中に神の栄光が満ちて人々が神の栄光を見たように、ヨハネの福音書の著者やイエス様とともに過ごした弟子たちは、人となられた神であるイエス様によって、神の栄光を見たというのです。 

2.恵みとまことに満ちた神

「この方は恵みとまことに満ちておられた。」(1:14d)

恵とまことの意味

「恵み」とは人に対する神様の慈愛で、弱い人への共感と同情が前提にあります。イエス様は人となられたからこそ、人の弱さに共感できる神なのです。

そして「まこと」には誠実という意味があります。
それは約束したことにたがわず果たすという意味があります。

ですから「恵みとまことに満ちている」とは、人となられた神であるイエス様の性質を表しています。それは、
「神様は私たちの弱さを知って共感して下さるだけではなく、私たちを救うという約束を真実に果たす」
という意味があるのです。

新約聖書の他の箇所には、私たちに共感できる慈悲深い神なるイエス様と、救いの約束に信頼してイエス様に近づくように励ます、次のような言葉がああります。これはクリスマスにふさわしい希望の言葉です。

(イエス様は)「私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(へブル4:15-16抜粋 )

3.私たちがイエス様を見る2つの方法

「私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。」(1:14b-c)

この福音書を書いたヨハネはイエス様の弟子と考えられています。そして彼と彼以外の弟子たちが、イエス様を見ることによって神の栄光を見たと証言しているのです。言い換えれば、イエス様を見て、神を見たというのです。今の私たちは当時とは違った方法でイエス様を見るのです。それは少なくとも2つあります。

聖書を通してイエス様を見る

まず聖書を通してイエス様を知ることができます。そのことについてイエス様がこう宣言しています。「 あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。」(ヨハネ5:39)

さらにある神学者も聖書を通してイエス様を知ることについてこのように解説しています。「聖書によって私たちは、イエス・キリストという人がどのようなお方だったのかを思い描くことができ、…4つの福音書を読むことで、私たちは、イエス・キリストや彼の真価についての私たちの理解の欠けたところを埋めることができます。」(A.Eマクグラス著 旧約新薬聖書ガイド 教文館)

教会の礼拝や、私たちの祈りを通してイエス様を見る

さらに、イエス様はクリスチャンがともに集まり祈るところに共にいると約束して下さいました。それは共に祈る中に、私たちが礼拝し、集まる中にイエス様も共にいると約束して下さったのです。
「あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」(マタイ18:19-20抜粋)

新しい年に聖書を読み、学び、聖書についてのメッセージを聞くことによってイエス様と出会っていきましょう。またともに祈る中で、礼拝に集う中でイエス様と出会っていきましょう。

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