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第947号【のぶさんのひとり言】《12年目の悲しみ》2022.3.12.

2011年3月9日水曜日11時45分頃、東日本大震災発生2日前、三陸沖を震源としたM7.3の三陸沖地震が発生、津波の観測もありこの三陸沖地震は東日本大震災の前震とも言われております。私はこの週3月7日月曜日から11日金曜日までの予定で、秋田県を一週間程離れ関東方面への出張中でした。東日本大震災発生2日前の三陸沖地震発生の時間帯は、横浜市でお客様と打合せの為ビル4階に。ビルがかなり長く揺れた事を鮮明に覚えております。お客様と大きな地震来なきゃいいな〜と、お昼ご飯を食べながら冗談みたいな会話をしていた事を毎年思い出します。

当初秋田もどりは11日金曜日の予定で、いつもの通り午後13時頃の秋田新幹線大宮駅→大曲駅でチケットの予約をしておりました。出張が予定通りでしたら、東日本大震災発生14時46分は仙台駅~盛岡駅間、秋田新幹線車内で缶詰状態になっていましたが、前日の10日木曜日午後に急きょ、翌日11日金曜日朝一番に秋田工場でお客様との打合せが入り、予定を繰り上げ震災前日10日木曜日夕方大宮駅から大曲駅に向い、10日木曜日夜遅く秋田にもどった事を記憶しております。

10日木曜日に予定を繰り上げ秋田もどりをしていなかったら、東日本大震災発生時は秋田新幹線車内缶詰状態でした。そんな事があり、東日本大震災発生時は会社におり、東日本大震災の対応が出来た事に運の良さを覚え、また可笑しなめぐり合せも感じました。人の運命もまたこんなめぐり合せの繰り返しなのかも知れません。

昨日3月11日は東日本大震災12年目、死者・行方不明者が2万2318人、震災や原発事故に伴う避難者は全国47都道府県に3万884人。この東日本大震災で多くの人の尊い命が失われ、亡くなってしまった人の無念、残された家族、友人知人の深い悲しみが始まり、いまだ自宅に帰れない人もおります。この悲しみで人生の儚さを学び、今自分が抱えている問題などは、たいした事が無いと考える様になりました。

2011年3月11日金曜日14時46分18秒、東日本大震災の記憶がしっかり蘇ってきます。

復興とは何か? 放射能アンダーコントロール? 廃炉? デブリ取り出し? 何をもって復興なのか?

◇悲しみの、歴史の上に生きている。

◇悲しみに、寄り添う気持ち忘れずに。

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