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ウェルビーイングとは?「終い方」を考えることは「生き方」を考えること

今年から始まったアートベンチャーエヒメというプロジェクトに、アートコミュニケータ(通称:ひめラー)として参加しています。

5月のオリエンテーションを皮切りに、全6回にわたる「基礎講座」でひめラーとして活動していくための基礎を学んでいます。

先日、第4回目の基礎講座「愛媛におけるウェルビーイング」を受講してきました。

いつものように備忘も兼ねて記録しておこうと思うのですが、今回はいつにも増してボリューミーな内容で、すべてを書き留めることはできなかったので(それを求められていなかった、話を聞いて感じ取るのが中心だった)、私の感想が中心の記事になると思います。

それではどうぞ。


■第4回基礎講座の概要


「愛媛におけるウェルビーイング」というテーマで、愛媛大学社会共創学部准教授の井口梓先生が講師としてお話しくださいました。

午前中は、井口先生が関わっていらっしゃる「内子町小田地区」のとある限界集落での実際の話をしていただき、「限界集落」や「消滅可能性都市」というものに対する印象がどう変わったか(変わらなかったか)、地域で自分らしく生きるとは?について考える時間でした。

午後は、絵画と民具を題材に、豊かさとは? それを子供たちに伝えるには? をグループで話し合い、発表するという時間でした。

■ウェルビーイングとは


健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること。
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

世界保健機関憲章前文

世界保健機関憲章の全文の中で、「ウェルビーイング」の定義が書かれています。

心身の健康だけではなく、社会的にも、すべてが満たされた状態であること。社会の中で、どう幸せに暮らすかということも含まれています。

ここでの「幸せ」は、happiness の意味での短絡的な幸せではなく、自分自身が持続的に実感している「幸せ」のことです。

■避けられない「無住化集落」


人が住まなくなる集落のことを「無住化集落」と呼ぶそうです。

四国地方は全国の中でもとくにその流れが早いそうで、愛媛県では30年以内に2500の集落が消えると言われています。

止められない人口減少、過疎化、荒れてゆくライフライン。

「限界集落」「消滅可能性都市」と言われる地域はどんどん増え続けています。

■「むらのこし」から「むらおさめ」へ


集落がなくなっていく流れです。

むらおこし → むらのこし → むらおさめ → むらみつめ

集落に昔のような活気が戻ったらもちろんそれが一番いいけれど、そうはいかない現実があります。

その現実をしっかりと受け止めた上で、「むらおさめ」をしていっている集落が出てきています。

「集落としてどうしたいか?」を住民たちで真剣に話し合って、動いてきた内子町小田地区のとある集落のお話を聞きました。

▶︎ 神社の本殿を取り壊した

人がいなくなった地域の神社は、「合祀」といって、他の神社に神様を移していくそうです。そうやってできた寄座神社が全国にもたくさんあります。

小田地区にあった神社もそんな寄座神社でした。

本殿は、立派な歴史的価値ある建物です。でも、この先人口がどんどん減っていけば、手入れをする人もいなくなり、荒れ果てていく運命を辿ります。

「私たちの大事な神社が朽ち果てていく姿を見たくない」
「最後の姿を見届けたい」

そう話し合った住民たちは、本殿を取り壊すことを決めました。

「神社を壊してしまうなんて、もったいない!ひどい!」

外野の人が見たら、そう思うかもしれません。ですがこの背景には住民たちの「思い」があったわけです。

▶︎ 祭りの復活

次に住民たちは祭りの復活を目指しました。

「おねり」という伝統芸能で、人間の親子や猿、犬などのお面をつけて、コミカルな動きの演技をするようなものだそうです。

地域にとっての大切な文化財であり、若者が「おねり」で笑いを取ったり、役割を得たり、拍手喝采を浴びるというのが、住民にとって大事な機会でした。

最初、「おねり」を復活は、それによって集落に人を呼び込もう!という「むらのこし」の視点かなと思って聞いていました。

でも「むらおさめ」の一貫でした。

自治会では、「もうがんばりたくない。10年後、笑っていたい。そのためになにがしたい?」そんな話し合いが行われました。

寄り合いで顔を合わせれば、誰がいなくなっただの暗い話ばかり。祭りを復活させることで、世代を超えて集まって、大笑いする機会をもう一度作りたい。拍手を得たい。笑いたい。

10年後も笑っているために、祭りを復活したい。

その熱い思いを受けた愛媛大学の井口先生は、学生たちと共に小田地区に入り、住民たちの話を聞き取り、見事、祭りを復活させたのです。

これについては内子町のホームページにも文献が載っていたので、私の拙い説明よりはそれを見ていただいたほうがいいかも。

https://www.town.uchiko.ehime.jp/uploaded/life/17179_28502_misc.pdf

https://www.town.uchiko.ehime.jp/uploaded/life/17179_28494_misc.pdf

■終い方を考える


小田地区の事例を聞いて、「終い方」を考えるところからすべてが始まっていると感じました。

なんでも「発展する」のが良しとされる世の中、人口減少で集落が消滅するということは「良くない」「ネガティブな」ことと捉えがちです。

ネガティブなことには目を背けたい。

普通の人間の心理だと思います。

それでもきちんと現実を直視してはじめて「どう終わらせるか」「どう閉じていくか」を考えることができます。

それは同時に「どう生きていくか」を考えることでもあります。

自分は地域の何が好きで、何を誇りに思っていて、何を大切にしたいのか。自分だけではなく隣のあの人はどう考えているのか?

そうやって話し合いを重ねていくなかで、あるいは誰かに語って伝えていく中で、地域に住むことの「誇り」を取り戻していく。

外野の人がやいやい言う問題じゃないなと思いました。

「人が減る中でさびしさを感じない人はいません」という井口先生の言葉が胸に突き刺さりました。


長くなってしまったので、午後の話は後半に譲ります!


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