帰り道に、コンビニがあると嬉しい。
「お疲れさまでした。」
終電が終わりを迎えようとした、日付も変わるころに交わした言葉は何に向けての言葉かは定かではないが、今日は忘年会だったので日頃の疲れに対してだと思うことにした。
忘年会とは良い言い訳で、1年を労うと理由をつけて普段は必要以上な会話はしないような仲間と飲む機会を作った。
私の職場は、所謂ブラック企業というわけでもなかったが、特別ホワイトでも社内の仲が良いというわけでもなかった。同期と愚痴を肴に、酒を飲むことはあったが、職場全体やその他と飲むなんて自ら行動することはなかった。
とは言っても、もうこの職場に勤めて7年の月日が経とうとしている。それだけあれば多少なりとも馴染むことはできるようになった。もちろん最初からそうだったわけもなく、最初はいつ辞めようか、どうやったらサボろうか、そればかりを考えていた。
高校や大学も希望していた所にそれなりに進学できたし、就職もそれなりの場所に就くことができた。人並の苦労はしたつもりだったが、別に明日を憎むようなことはなかった。
それが変わったのは、就職してからだ。それなりの苦労しかしていなかった私は、初めて自分は凡人であるということを思い知らされた。仕事のできる上司、比較される同期には到底敵いっこなくて、出来ない自分を晒される日々に辟易していた。
唯一誇れたのは、折れなかったことだ。どんなに否定されても、諦めなかった。それが正解だったのかは、未だに答えはみえないが、ここに居られているのはその結果の1つだ。
そのおかげか、あんなに苦痛だった職場にも居場所ができた。愚痴の言える同期、相談できる上司、頼ってくれる後輩。仲間とも、友達とも言えるような関係ではないが繋がりができた。
そういった人と飲むお酒は美味しかった。
「ビールはいつ飲んだって美味しい。」
何かの本でそう言っている人がいた。確かにそうだ、と辞めたい自分は1人で飲むビールを愛していたし、「仕事終わりに飲むビールは違うな。」と呟く上司が苦手だった。
確かに、ビールはいつだって美味しいと思えるのは今も変わらないが、仕事終わりに飲むビールがより美味しく感じるようになった今は、その言葉がより沁みる。
「あれは大変だったよな。」と苦労話も、「それはこうした方が良かったぞ。」と助言も、「頑張ろうな。」と期待されるのも相手に認められないとできない会話だった。それを知れた今日だからこそ、この人たちと戦った後に飲むお酒は美味しいのだと気が付くのに、こんな月日を要した。
別に、戦隊ヒーローでもないし、試合があるようなプロスポーツ選手でもない私たちだが、日々戦っている。相手は昨日の自分だったり、嫌みを言う上司だったり、難題つける取引先だったり、常識を押し付ける世間だったり、対戦相手は毎度人によっても異なるが。
苦手だった飲み会も、こうして2次会まで参加してそれなりに良い気分で帰路に着いているのが楽しい。
そういった立場になれたことも、そこまで来れたことも嬉しいし、その過程を労れるのが何よりの嬉しく楽しかった。
その余韻で自宅までの帰り道を優雅に、誇らしげに歩いていたが、何かが足りなかった。確かに、楽しかったし、美味しく飲めた。これといった不満もなかった。それでも何かが足りなかった。
噛みしめたかった。
これだ。この余韻も、誇らしさも、楽しさも、ゆっくりと自身で噛みしめたかった。飲み会では、相手がいた。それは決して悪いことではないが、自身との対話はできなかった。
途中コンビニに寄り、ビールとつまみを買おう。
つまみは何にしようか。もう社会人7年目もなれば健康にも気を遣うようになった。まあ、飲み会の後に飲み直す時点で論外かもしれないが。
浅漬けもいいな、王道の枝豆もいいなとあっさりとしたつまみに目が行くようになった。その中でも、特に気に入っているのがらっきょうだ。
らっきょうなんてカレーの添え物だろと思うかもしれない。いや、そう思っていた。しかも、らっきょうなんて2番手で福神漬けこそが添え物の主役だった。カレーの時ですら、なかなか食べる機会がなかった。それでもらっきょうが食べれられるときは特別感があり、嬉しくてつい食べ過ぎてしまった。
そんならっきょうをビールのつまみにするなんてなんと、贅沢か。特別感のあるものを、つまむ。しかもこれが、ビールに合うのだ。
特別をつまみながら、ビールを味わう。色んな思いを馳せながら、日々を噛みしめる。今日の飲み会や日々の出来事なんかを噛みしめながら。
今日だったり、昨日だったり、色んな場面に思い耽る。こんな時間が特別で、こんな時間に飲むビールは格別だった。
夜更けのビールは、特に美味しい。