不要不急が、僕には必要だ。
「あなたに看護師は向いていないのかもしれないね。」
もう何度目かになる、上司との面談でそう言われた。
希望していた大学にも、国家試験にも、ストレートで合格し、就職先も1か所だけの試験で通った。それなりに、選択通り進めていた僕にとって初めてとも言える挫折だった。
初めての社会人生活は、今までとは全く道のりだった。お金は貰えるようになるが、責任が伴うようになった。
医療従事者に勤めるとあって、命に関わる仕事であるため、その責任はより大きいものだった。小さなミスが命取りになることもなる。だからこそか、厳しく指導された。
それが当たり前だ、と出来ないなりに必死に学んだ。とにかく、必死だった。でも、限界だった。
いくらお金が貰えようが、いくら患者の為だろうが、自分は限界だった。しかし、その時の自分が限界を迎えていたことには気が付かなかった。
面談で気が付いたら涙を流していたときも、朝7時過ぎから帰るのが深夜の2時になったときも、患者だったこどもの前で怒鳴られたときも、悪いのは自分だとただただ自分を責めた。
「怒られるのも、自分の為、患者の為。それは、指導だ。」
負けるか、といきこんでSNSに書いたら詮索され特定されて怒られた。ネットの世界にも、自分の居場所はなかった。
いつしか、消えたくなった。死にたかったわけではないが、誰も知らないどこかへ行きたかった。
世界一周の本を沢山読んだ。それを目標に貯金もした。
上司には言われた一言が、魚の骨の様にずっと喉に引っかかって取れなかった。
自分の仕事はこれじゃないのかもしれない。
退職の意向を上司に伝えよう。そのとき、たまたまロッカーが近かっただけ先輩に、
「俺が面倒みるから、うちに来いよ。」
と言われた。
ただただロッカーが近いだけの後輩に、こんなこと言うか。そんな奴がいるか。
まあ、どうせ辞めるなら異動してみるのも変わらないかとその言葉に乗っかった。
異動してからというもの、自分を見てくれる、認めてくれるのはこんなにも嬉しいものなのかと知った。
役割が与えられるのが、嬉しかった。皆が残業している中、「そこのゴミ捨てといて。」とゴミ捨てしか役割を与えられず、1人先に帰宅する虚しさを味わっていたあの頃にはない感情だった。
向いてないと言われて、もう8年が経った。
変わらず、看護師をしている。自分に合っているんではないか、とも思っている。
あの時、声をかけてくれた先輩が居なければ間違いなくこの自分ではなかった。
知らないどこかで、知らない誰かと過ごしていたかもしれない。
3年は続けないと、あなたの為だから。
そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。
辛かったら、きつかったら逃げてもいい。どうか、消えないで。
先輩との出会いが、自分の人生を変えた。
でも、その出会いを紡いだのは、出会うまでの期間を耐え抜いたからだ。
その耐え抜けたのは、音楽のおかげだった。
就職で地元を離れ、職場でも、ネットでも居場所がなかった僕に唯一あったのは、音楽だった。
休みの日は、ライブハウスに足を運んだ。夏には、フェスにも行った。
ライブハウスで叫んでいるときの自分は、自由で最強だった。
ライブハウスだけは、僕の居場所であってくれた。
あんたが生きてくれていて、良かった。って叫んでいた。
ここにいるあんたは、輝いている。って叫んでいた。
死ぬな、死ぬな、生きていてくれ。って叫んでいた。
気が付いたら、僕は泣きながら叫んでいた。
あの先輩に出会う少し前に、僕はサンボマスターに出逢った。
「いても、いいんだ。まだ何かできるんじゃないか。」
そう奮い立たしてくれたのは、音楽だった。
通勤中、イヤフォンで流れる音楽が自分の応援歌だった。
その歌が、先輩との出会いを紡いでくれたんだ。
「不要不急の外出は避けるように。」
現在、新型コロナウイルスの影響で、ライブやフェスが軒並み中止になっている。
ライブハウスは、真っ先に悪者にされてしまった。
週末のライブハウスが、フェスが、希望だった僕にとって、それは不要でも不急でもない。
きっと、誰にとっては映画が、スポーツが、芸術が、不要不急の不可欠なものなのだ。
今は、耐え抜く時だ。
耐え抜いた後、みられるライブは間違いなくやべーすげーやつだろう。
それでも、僕には不要不急の音楽が必要だ。