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随想と小論のあいだ――あるいは沖仲仕の哲学者エリック・ホッファーについて

すでに何本か記事をアップしているが、本マガジン『辺境日記~構想された真実~』について、ここらであらためてその概要を述べておきたい。

マガジン説明文に掲載のとおり、基本的なコンセプトは「隠された真実を思索のサーチライトによって照らしだす」になる。

なぜこのようなコンセプトを設定したかというと、これからますますAI時代が加速していくであろう中で、人間が文筆に向き合う意義はいったいどこにあるのかを問うたところ、それは「洞察」にあるんじゃないかと、それこそ洞察するに至ったからである。このあたりの話は以下の記事で詳しく論じているので、興味があれば覗いてもらえれば幸いだ。

次に文体について。これは随想と小論のあいだを意識している。世のエッセイほど主観的でくだけてはないものの、かといって論文ほど客観的で厳密でもない、ちょうどそのあいだぐらいのバランスを目指して書いている。

筆者にとっては、このバランスがもっとも書いていて心地がいいし、読み手としてもこのバランスで書かれた文章が好きなのだ。エッセイ調全振りの文章を読むと「はよ結論を言わんかいはよ」と思うし、論文調全振りの文章を読むと「いったいおまえの実存はどこにある」と言いたくなる。筆者の中の寂海王がいつだって「学問だけではくだらん、つまらんぞ」と握手を求めてくる。

一人称を「筆者」としたのも同じ理由で、日常シーンで用いている「僕」や「俺」ではカジュアルすぎであり、かといってビジネスシーンで用いている「私」では、ややフォーマルが過ぎる印象を拭いきれなかった。しいてこの中から選ぶならば「私」だが、もう一つ見過ごすことができない違和感があって、それは自己との距離が近すぎるということ。というのも「私」から想起されるであろう距離感よりも、筆者が普段から知覚している自己との距離感は、もっと離れているのである。

そんなこんなで最終候補として、自己との距離感としてもしっくりくる「筆者」または「自分」が残り、どちらを選ぶかは最後の最後ぎりぎりまで悩んだものの、直感にしたがって「筆者」をとった次第で。

あと文体で忘れないようにしていることに「ユーモア」がある。ウケるウケないは別として、これにはいくつか理由がある。ユーモアにはその人の築いた実存が如実に反映されること、世の中にはあまりにもユーモアを欠いた文章があふれかえっていること、読み手に息継ぎしてもらって読むモチベーションを促すこと、などがその主たる理由である。もちろん単純に書きたいから書いている部分も否めないけれども。

思うに文章におけるユーモアというのは、料理でいうところのスパイスのようなものじゃないだろうか。別になくたって普通に食べられるし、第一級の料理は素材だけの旨味で十分どころか、むしろ邪魔立てしてしまう恐れすらあるかもしれないが、うまく使えばぐっと味が引き立つことも多い、という意味で。

最後にマガジンタイトルについて。これは沖仲仕の哲学者ことエリック・ホッファー著作群から着想を得ている。より具体的には『エリック・ホッファー自伝: 構想された真実』と『波止場日記――労働と思索』である。

自伝によれば、ホッファーは幼少期に原因不明の失明を経験、十五歳の頃に奇跡的に視力を取り戻して読書に没頭するも、正規の学校教育は一切受けていない。七歳の頃に母親を、十八歳の頃には父親を亡くし、十代にして天涯孤独の身になっている。その後はロサンゼルスの貧民窟でその日暮らしの生活を始め、二十八歳の頃には多量のシュウ酸を飲んで自殺未遂を図っている。

そして、流浪の末にたどりついたのが沖仲仕、つまり船舶内で貨物の積み降ろし作業に従事する湾岸労働者としての仕事だった。

ホッファーは「沖仲仕ほど自由と運動と閑暇と収入が適度に調和した仕事はなかった」と述懐している。彼にとって沖仲仕は、生活の糧を得る場所であったのと同時に、思索に耽る場所でもあった。それゆえ「沖仲仕の哲学者」で「波止場日記」なわけだ。

では、自分がいつも思索に耽っている場所はどこだろうかを問うてみると、それは「辺境」であるとの結論に至った。いつだって大通りにはでられず、気付けば裏路地へと追いやられ、社会の辺境とも呼ぶべき場所で、独自に思索を積み重ねてきた。中央にいる連中を妬ましく思ったこともあったし、そうあれない自分を卑下したこともあった。だが、今はそれらすべてを乗り越えて、この生き方こそが自分なのだと、誇りをもっている。

そんな自分への誇りと、ちょっぴりの自虐と、その生き様から多大なる勇気をもらったホッファーへのリスペクトが、マガジンタイトル『辺境日記~構想された真実~』には込められている。

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