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20の私へ

だいぶ前の話ですが、私は成人式に行きませんでした。
ちょう平たく言えば地元の同級生とあまりうまくいってなかったからです。
これについて喋り出すとマジもんの特級呪物みたいな記事になるのでやめておきます。
てへぺろ。


この時期はあまりテレビのニュースを見たくない

テレビのニュースで着飾った新成人の楽しそうな様子が映るたび心がザワザワする。成人式に行かなかったことに後悔は全くないはずなのに、何で毎年こんなにザワザワしてしまうんだろう。
20代の頃はザワザワの正体がずっとわからなかった。
とにかく成人式の話題に触れることがなんだかわからないけどものすごく嫌で、成人式のニュースが流れたらチャンネルを変えていた。

30歳のときに第一子を出産した。
子どもが生まれてしばらくした頃、同窓会の案内が来た。20代の頃だったら返信したかどうかも怪しいくらいだけど、そのときはふと「拒絶するばかりなのはあんまりよくないんでは?」と思って参加すると返事をした。

第一子の産後すぐは精神的に本当にしんどかった。
今思うとあれは完全に産後うつですよね。
出産を境に完全に生活どころか人生も変わるどころの騒ぎじゃない激変をして、個人差があるから母親学級で学んだことも育児書も全然参考にならなくて、小さな命の行方が完全に自分の行動で左右されるというプレッシャーに心が押し潰されそうで、たぶんそういう時に一番心身ともに支えになってくれるであろう自分の母親はもういない。それで里帰り出産なんてしても意味ないから里帰りはしなかった。
その上元々私は悲観的で、自信がなくて、悩みを抱えても人に頼ることが苦手で、物事を深く(しかも悪い方に)考え込みやすい性格。

後になって住んでいる地区の担当保健師さんから「あの時あなたはバッチリ産後うつチェックに引っかかってましたよ」と言われ、奥の方が笑ってない目で「ハハッ!!ですよねー!!」としか答えようがなかった。

同窓会のお知らせが来たのはそのタイミングだった。
別に全員と不仲だったわけじゃなく何人かとは薄〜く繋がりが残っていたからそういうお知らせが届いて、しばらく考えて参加すると答えた。
不安がなかったわけじゃない。
「中学生の頃のことや成人式とその後の同窓会に行かなかったことをなんか突っ込まれるんじゃないか」とか、「さすがに30歳にもなって当時と同じ態度を取るやつはいな…いたらどうしよう……」とか。
でも産後うつのさなかに思い出すのは幼少期から10代の頃のことばかりで、地元に帰ってなんかしなきゃいけない気がして。
そしてそれ以上にこのまま10代前半の頃のことを引きずり続けるのがいいことだとは思えなくて、この辺りで当時のあれこれのケリをつけないといけないと思って、参加すると答えた。

同窓会(30歳)

で、
相当な覚悟をして同窓会に臨んだものの、実際に行ってみたら拍子抜けするくらい何事もなくて、意外と楽しかったりしちゃったのだ。
一番恐れていて苦手だった人が来なかったからというのもあるんだろうけど、苦手だと思っていた子たちと意外とちゃんと話せたり、全然話したことがなかった子が大人になってから経験したことが私と共通していてその話で盛り上がったり、当時自信がなくて緊張しすぎてうまく話せなかった好きだった人と色々話せたり。

「30歳の同窓会で楽しく過ごせたのなら成人式も行って大丈夫だったんでは」という考えも一瞬頭をよぎったけど、中学卒業から15年経って自分も同級生たちも大人になったからうまくやれたんであって、5年そこいらの諸々全然消化しきれていない20歳で再会してもおそらく後悔しかない結果にしかならなかっただろう。
成人式に行かなかったのは、当時他にも色々あった20歳の私の心を守るためにも大正解だったんだ。それは確信を持って言える。
再会したのが30歳だったから楽しいと思えたんだ。

それからしばらくして、ようやく「成人式に行かなかったことに後悔はないけど、20歳の時点で地元の同級生と楽しく仲良くできる関係を築けない10代を送らざるを得なかったことが納得できていなくて、楽しそうな子たちが羨ましいと思っていたんだ。私のザワザワの原因はこれだったんだ
と気がついた。
多分あのとき同窓会に行かなかったらそこに気づくのはもっと遅かっただろう。だから、30歳で同窓会に行ってみてよかったな、と今でも思っている。


二度目の成人式がやってくる

二度目の成人式の年齢が近づくお年頃になっても、いまだに成人式のニュースは心がざわつく。
私はたまたま当時の自分と当時の同級生たちとの相性が良くない環境に行かざるを得なくて、全ては運や巡り合わせで、子どもだった当時の自分には解決方法もわからず自力ではどうにもしようがないことだったから、大人になったいま思えば周囲の大人たちが介入しなければどうにもならなかった問題だったから、この納得できない感覚や楽しそうな若者たちが羨ましい気持ちはしばらく続く気がする。
いい大人なのに、多感な頃の心の傷は簡単には癒えないものなのだなと毎年実感してしまう。

今年それについてあれこれ書いたのは、今住んでいる市では成人式に参加しなくても後日記念品の受け取りだけできるということを知ったからです。

私の出身地の市では成人式を盛大に祝っていることが感じられる反面、参加しなかった人の存在は完全になかったことになっているように感じられる。
等しくその市に住んで等しくその年に成人しているに、のっぴきならない事情があって参加できなかったのに、成人式不参加の新成人の存在が全くなかったかのように扱われているのが当時すごく嫌だった。

先日調べ物があって、その流れで現住地の成人式の記念品の後日受け取りについて」という情報にたまたま行き着いた。
参加しなかった、できなかった人のことをちゃんと見て考えてくれている街もあるんだ」という事実が、何年も前に他の街で成人式に行けなかった私の心を掬い上げてくれたような気がした。
特別扱いなんてしてくれなくていい。そんなものは望んでいない。行けなかった人への想いや忘れていないよという気持ちが感じられるその一言だけが欲しかった。

と同時に何事もなければこのまま我が子らもこの街で成人式を迎えるわけで。彼らがその時にどういう選択をするかは本人に任せるにしても、そういう姿勢を持っている街で子育てをできるのは良いことだな、と思っている。

私は、成人式に行ける子も行けない子も、健やかで幸せな人生が送れると良いなと持っている。
当時は全然気づけなかったけど、世の中そういう大人は結構多いはず。
多分。

二度目の成人式に向けて

私の長期的な目標のひとつは、今後開催される予定の40歳の同窓会で「それなりに充実した人生を送ってるぜ」ってちょっとだけドヤ顔することだったりする。
自慢したいわけじゃない。自信を持って胸を張って、彼らと対等に生きたい。

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