音を止めない理由
昼休みに教室にいることが苦痛でした。
合唱部にはそれで入部しました。
男の子は全員野蛮だしいじめられるから嫌いだと思っていました。
私が入部した合唱部はほとんど女子しかいませんでした。
じゃあ運動部でもいいような気がするけど、運動が嫌いだったのでそもそも視野に入れていませんでした。
顧問の先生はとにかく厳しい人でした。
かわいがってもらっていた方ですが、それでも彼女の笑う姿はほとんど見たことがなかったように思います。
今なら問題になるんじゃないかと言うほどの暴言も吐くような人でした。
約4年間のうち、隠れて泣いている仲間を何度か見たことがあります。
私はメゾソプラノ、ソプラノとアルトだけならソプラノをしていました。
メゾソプラノをやりなさいと言われた時、正直すごく嫌でした。
やるなら主旋律がよかったし、ソプラノとアルトの両方に引っ張られるし、何より地味でした。
意外に思われるかもしれませんが、小学校の頃はかなり気が弱かったので、メゾソプラノなんかやりたくないです!ソプラノにしてください!とは言えませんでした。
ラジカセから流れるへんてこなオルガンの音を毎日なぞり過ごしていました。
たしか、5年生になるとパートリーダーを任されるようになりました。
と言っても、私にその器があったと言うよりは、メゾソプラノの中で高学年で熱心に練習に来ているのが私だけだったからな気がします。
もちろんこれも嫌でした。
下級生は当然パートリーダーに倣って歌います。
合唱した時に音色が汚くなってしまったら私の責任になります。
場を仕切るのも大嫌いです。
隅っこで大人しく淡々と自分の仕事を全うしたいです。
嫌々ながら、教室にいるよりはマシかと思いながら続けました。
高学年になってからは本格的ないじめにあっていました。
教室に戻ると私の味方は一人もいない。
部室にいれば私の事を嫌う人は何人かいたかもしれないけれど、部活中にそれを露わにすることはほとんどありませんでした。
6年生の夏前でした。
私は親や先生に相談して、私立の中学校を目指すことになりました。
幸い勉強はそれなりにできる方で、性格的にも私立の方が合っているんじゃないかと。
塾に通うために、部活を辞めざるを得なくなりました。
顧問の先生も勉強となるとさすがに止めることもできず、私は合唱部をやめることになりました。
その後はガムシャラに勉強をしました。
これがうまくいけばいじめから解放される。
合唱部の事なんて一瞬で忘れてしまいました。
昼休みも塾の課題を解いていれば周りの事なんかどうでもよくなりました。
そして私は志望校に合格しました。
合格してからしばらく経った音楽の授業の終わりに、顧問の先生に呼び出されました。
最後のコンサートに出ないかと言う提案でした。
私は一度やめたのにのこのこと戻ることはしのびないし、ブランクがあることによって皆のように上手に歌えるか自信がないから断りたいと伝えました。
ではせめてこれだけでもと、私の母宛の手紙を私に持たせました。
帰宅後、母は手紙を読みすぐに言いました。
「あんた、このコンサートは絶対に出た方がいい。無自覚だったかもしれないけど、先生はあんたの事、相当気に入っていたみたい。」
なにをもって私の事をそんなに気に入っていたのかは今でもわかりませんが、母がそこまで言うならと受験が終わりやることのない私は合唱部に戻ることにしました。
コンサートまで約1ヶ月半ぐらいだったかな。
周りの3倍速で楽譜を覚えなければならなかったし、先生は相変わらず怖いしで、のせられたもののやめておけばよかったか、と少し考えたりもしましたが、慌ただしさにその気持ちもかき消されて本番の日を迎えました。
結論としては、合唱部にいてすごくよかったとは今も思いません。
別に歌なんて自己満でいいと思っているし、人前に出ること自体そんなに好きじゃないし、休み時間のやり過ごし方なんていくらでもありました
合唱部にいたから歌がうまくなったとも思いません。
部員の中には私と同じぐらい所属していたけどずっと音程が合わせられない子もいたし。
ただ、自分の生真面目な性格や感性を初めて認めてくれたのはその先生だったようにも思います。
あれから約18年なので恐らく退職なさっているだろうけど、地元に帰った時は会ってみたいような気もします。