一人暮らしでマンションを買った理由|木の上でおままごとしていた自分に戻る
子どもの頃、実家の庭に枝振りのいい柿の木が生えていて、ちょうど二股に分かれた枝の間に板を渡して一人でおままごとをするのが楽しみだった。柿の木の下に両親が作ってくれた小さな砂場があって、そこからバケツや小さな器で砂を運んでは、木の上で「ごっこ」をしていた記憶が、私の中の鮮明な「幼少期の思い出」だ。
私には3歳年上の兄がいて、彼は大変な社交家だったので、毎日友達とあちこちを駆け回っていた。私はその輪に入ることもなく一人で木の上に登っては、「今日のご飯は何にしよう」などと呟きながら、誰にも干渉されない自分との時間に解放感を覚えていたことを今でも思い出す。
自分の世界との対話で満足していた私も、小学校の高学年以降になると、それなりの社会性を身につけて、友達と遊んだりグループで過ごすといったことにも慣れた。学生時代を経て社会人になり、ある程度「外交的」な人としての認知も得るようになった。あろうことが営業職を経験したりもした。
自分自身のメンタリティはあまり変わっていないけれど、周りの雰囲気に影響されて社交性のある自分を演じているうちに、演じることが上手くなり、そのこと自体が本質かのように感じる瞬間さえあった。
ところが、コロナ禍に入り人との直接的な交流が絶たれ、家に一人でいる時間が長くなると、「あれ…?これってすごく自分かも…?」と思う瞬間が度々訪れた。自分一人で自分と対話しながら、仕事やSNSでは外とつながりつつ、物理的には一人という時間を楽しむようになっていた。
在宅時間の増加は、明らかに内向的な自分を呼び戻すトリガーとなっていた。最初のうちはそれなりにストレスを感じていたし、新型コロナウィルスに対するそこはかとない脅威に晒され続ける不安はあったけれど、その時間が長く続くにつれ、木の上でおままごとをしていた子どもの頃の感覚が戻ってくる様子に「本来の自分」を感じた。
すると同時に、「自分が一人で過ごす場所」の重要さも感じるようになった。それまでは仕事や遊びで家にいる時間が短く、朝か夜にしか家で過ごさないので、部屋の陽当たりや窓から見える景色などはそこまで重視していなかった。ところが家にいる時間が長く、時間帯を問わないという状態になると、その場所の快適性が自分の機嫌を左右することも分かってきた。
自分に飽きることなく、機嫌良く長い時間を過ごすための方法。そして一人で取り組める楽しみ。新しい趣味として「居場所を心地よく整える」が急浮上した。
NRNR