Laputaのボーカルが亡くなった話
まずこの記事の大前提として私はLaputaというバンドに関しては全く詳しくないし名前だけ知ってるだけの元バンギャルで、今日の記事の内容は青春時代廃人だった旦那の話である。
ついこの間、私たちはいつものように夫婦二人で夕飯を食べ終わり各々好きなことをしていた時に、旦那が珍しく「えっ」と声を荒げて黙ってしまった。
私は悲しい時も嬉しい時もすぐ泣いてしまうくらい感情が表に出るタイプなのだが、旦那は逆に全然感情が表に出ないタイプでたまに何を考えているのか私にも分からないことが多い。そんな旦那が珍しく大きい声を出したので、絶賛ゲーム中だったのに思わず振り返って「どうしたん?」と声をかけた。旦那が「Laputaのボーカルが死んだ」と言った。私も「えっ!?」となり、すぐに確認したらボーカルのakiさんの公式が「2023年の8月29日に急病により亡くなりました」とポストしていた。「52歳か……充さんと同い年じゃん若いな」と言ったら旦那は寂しそうに「Laputaのライブに行く夢がもう永遠に叶わなくなった」と呟いた。
自分の人生を豊かにしてくれた、自分の人生に影響した人がいて未だにその人のことを大好きでいられるというのはとても幸運で素晴らしいことだと思っている。私にとってそれはSOPHIAで、旦那にとってそれはLaputaだった。奇しくも私と旦那が出会った時、SOPHIAは活休していたしLaputaは何年も前に解散していた。なので、二人してよく「SOPHIAが復活したら」「Laputaが復活したら」というたらればで盛り上がっていた。
冒頭にも書いたが私はLaputaについてバンド名とファンの名前が「廃人」だったことくらいしか知らない。でも「Laputaというバンドが旦那にとってとても大事で大切なバンドだったか」はとてもよく知っている。
Laputaと出会いV系バンドマンを始めた話、初めてライブに行った時かっこよすぎて思わず涙がでた話、前期後期で音楽性がだいぶ変わったけどその全てが大好きだった話、旦那はLaputaの話をする時何故か少し自慢げで嬉しそうに話していた。
私だってSOPHIAとの出会いや一緒に生きてきたエピソードを人にするときは結構自慢げになるので、とても気持ちはわかる。同じように青春時代バンドに身を捧げてきた人間として「この人は本当にLaputaが好きだったんだな」と何故か私も楽しく旦那が話してくれるLaputaの話を聞いていた。
去年SOPHIAが復活する話を旦那にした時、一番最初に「Laputa復活しないかな」と言っていた。その後も一日限定とかでいいんだよな、とか復活して絶対行きたいバンドはLaputaだけだ、とか勝手にSOPHIA復活の影響を受けてLaputa復活に思いを馳せていた。
akiさんが亡くなってしばらく、別にLaputaの話をしていたわけではないがいつものように私がゲームをしている隣で旦那がLaputaを聞いていた。
家ではしょっちゅう流していたので、私はなんとなく聞いて「Laputaだ」くらいまではわかるようになっていた。
「Laputaやん」と話しかけたら「Laputaはやっぱり一番かっこいい」という話になったので、「亡くなったのが本当に残念だね」と言うと旦那から「Laputaは、死なないんだよ、死ぬわけがない」と言われて、旦那が普段何の感情も表に出さないだけでakiさんが亡くなったこと、もう絶対にLaputaが復活しないことに想像を絶するくらいショックを受けていることが分かった。
私は11歳の頃からSOPHIAの松岡充さんが大好きで大好きで人生共に歩んで復活した現在も淡々とSOPHIAを追いかけているし、何故だか「松岡充は死なない」という謎の自信があるのでめちゃくちゃ気持ちがわかる。
その謎の自信を未だに取り消すことができないくらいに、旦那にとってakiさんが亡くなったことがショックだったんだろう。というか、まだ亡くなったことを受け入れられていないんだなぁと思った。
気づけば自分ももう40代手前、若い頃影響を受けた人たちもだいぶご年配だ。こういうことが、やがて普通に起きてしまうんだろう。
絶対に信じられないし、信じたくないだろうな。
それでも、旦那にはakiさんが亡くなったことをちゃんと噛み砕いてこれから人生歩んでほしいので、追悼でボーカル不在の復活ライブをしてくれないかなぁと思っている(あくまで超外野の意見なので「そんなことできるわけないじゃん」はやめてください)
改めて、ご冥福をお祈りします。
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