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最強で最悪で最高な相方の話

私には「みけ」という相方がいる、もちろん本名ではない。
友だちのことを「相方」と呼ぶのはだいぶ痛いのは分かっているのだが、みけのことを友だちと呼ぶにはあまりに仲が深すぎるし、親友と呼ぶのもなんか違う気がする。相方がちょうどいい。少し前みけがTwitterをやっていた時、私のことを相方と言っていたので共通認識で相方だ。

みけと出会ったのは中学3年生の時なのでもはや20年以上前のことだ、恐ろしい。私は私立の中学を辞めて公立中に転入した。そのままいればエレベーター式に高校へ行けたのだが、どうにも私立校が合わなすぎて別高校へ行くことにした。
別高校に行くには中3の一学期で私立をやめて公立へ行かなければならなかった。私は地元の公立に移るのが嫌すぎて別区域の公立中にわざわざバスで通うことにした。
私にとって転校も、自分が転入生になるのも初めてだったので「転入生自己紹介」はめちゃくちゃ緊張したのを未だに覚えている。しかも私が行っていた私立は地元では結構有名なお嬢様学校だったので、そこから来たというプレッシャーもあった。
転入初日、初めての放課後に最初に話しかけてきたのがみけだった。
別区域とは言え、その学校に一人友人がいた。小学生の時の友人で、小学校で転校したのでそっちの公立中にいた。その子は別クラスだったが、私が二学期になると転入してくる話をみけは聞いていたそうだ。
みけは初対面で「話は聞いてるよ!私のことはうっちーって呼んでいいよ!」と言ってきた。
うっちーというあだ名が苗字も名前もかすってなさすぎて、なんだこいつと思ったのが忘れられない。

そこからみけは「今まで友だちおらんかったんか?」と思うくらいずっと私と一緒にいた。お昼も一緒に食べていたし、帰りはわざわざ自分が遠回りするルートで私と帰っていた。
だいぶ経って聞いた話だが、あの頃みけは私とあまりに仲良すぎて今まで仲良くしていた友だちに怒られたらしい。でも何故か、ずっと私と一緒にいてくれた。私からすると転入して早々こんなに仲良くしてくれる人ができるとは思わなかったので、正直とても嬉しかった。
中学生の二学期と三学期という短い期間を終えて、別々の高校へ進学した。私たちの世代は金持ちかヤンキーが自分の携帯を持っていた、くらいで私は親が過保護すぎて携帯を持たされていたがみけは持っていなかった。
私は希望高校を面接と作文だけの一次入試で突破したので、所謂筆記の高校入試は受けていない。高校入試の結果が出る日に、知らない番号から携帯に電話がきた。みけだった。親の携帯からかけてきて、高校に落ちたという連絡だった。何故一番最初に私に連絡してきたのか全然分からなかったが面白い子だなあとか思っていた。

そこから数ヶ月、みけがどうしてるか全く知らなかった。というか高校も違うし、みけは携帯も持ってないし、わざわざ家の電話に連絡することもないし、連絡手段がなくなってしまっただけだ。
ある日、家に手紙が届いた。みけからだった。
高校生になって携帯を持ったよ、番号とアドレスはこれだよみたいな手紙だった。
お互い共通の知り合いはいたし、多分私の携帯番号を知っていたのに何故かわざわざ手紙をくれた。どこまでもよく分からなくて面白い子だ。
再びみけと連絡を取り合うようになり、年に1.2回は遊んでいた。私は私で高校の友だちとの付き合いがあったし、それはお互い様だったので年に1回は会っていただけ結構すごいと思う。

私は高校を卒業して、専門学校へ行くために上京することになった。みけは高校の附属大学へ進んだ。高校を卒業した後、みけとは強烈にまた仲が良くなった。
何故か示し合わせていないのに、お互いビジュアル系にハマっていた。
お互い好きなバンドは違えど、毎日毎日メールして好きなバンドについて語り合った。私は東京にいたので、もうライブに通っていてみけから羨ましがられた。絶対一緒にライブ行こうなとか言っていた。
長期休み、実家に帰って遊ぶ相手はほぼみけだった。
成人式は一緒に行動して、終わった後の同窓会に一緒に行って、その後多分二次会があったと思うのだが何故かみけと二人でカラオケに行った。というか同窓会でもずっとみけとしか話してなかったし、私はそれで良かった。

成人式を終えて一ヶ月足らずで、色々あって私は地元に帰ることになった。事情は全部話した上で「相方が地元に帰ってきた」とみけは喜んでくれて、そこからは暇があったら一緒に遊ぶ数年だった。一緒にライブも行ったし、遠征もした。みけの家は割と厳しくて門限もあったし外泊も誰とどこに行くか説明しないと駄目だったので、私からみけの親に相談して一緒に泊まりで遊びに行った。
二人で熊本へライブ遠征したことがあるのだが、何故かその時「髪の毛をブリーチしたい」と言い出してコンビニでブリーチ剤を買って私がブリーチしたことがある。みけとの思い出は思い出せば出すほどアホほどくだらない。 

みけは看護師免許を取って、今度は向こうが上京した。私は当時ライブのためなら全国どこへでも行っていたので、東京へ行く時はみけの住んでいた寮に泊まらせてもらった。
他人の話なので端折るが、みけは一年くらいで寮を辞めて一人暮らしをし始めて、なんか気づいた時には看護師をしながらキャバ嬢になっていた。
まあ本人が楽しそうだったので私も特に気にしてなかったし、多分大学卒業するまで家が厳しかった為鬱憤が爆発したんだなーとか思っていた。
一人暮らしの東京の家ではライブ遠征も兼ねて一週間泊まらせてもらったりしていた。何も覚えてないあたり、やっぱり二人でアホなことばっかりしていたんだと思う。

突然みけは大阪へ行った。これも理由がめちゃくちゃ複雑で他人の話なので端折るが、なんで大阪なのかと聞いたら「日本で二番目に賑わっているところに行ってみたい」とかそんなんだった。
みけが大阪へ行ってしばらく経った時、一緒に大阪で暮らさないかと誘われた。
彼女曰く「親離れできてない、世間知らずの相方を実家から無理矢理剥がして野に放ちたかった」らしいのだが、私はまあみけが誘ってくれたしと何も考えずに大阪へ行って一緒に暮らした。
みけは相変わらず看護師とキャバ嬢をやっていて、私は大阪でダラダラ知り合いのバーで働いて最低限のお金を出すみたいな生活をしていた。
みけと喧嘩したことはないのだが、大阪で初めて喧嘩というよりみけからめちゃくちゃ怒られた。
自分はお前の家政婦ではないし、自立を促すために呼んだのに何もしないし、なんなんだ、みたいな感じだった。
まあよく考えると100%私が悪い。大阪暮らし時代はみけに何もかも頼っており、自分は何もしてなかった。二人で暮らしているのだから、家事とかお互いやるべきなのに全然してなかった。怒られて当然である。
私はみけに見放されてしまったという絶望感が凄かった。今の今まで、大きな喧嘩もせず相方として仲良くしていた子に急に怒られたのは精神的にきた。実はこの頃みけのお腹には当時付き合っていた人の子どもがいたらしく、それが発覚してみけは彼氏と結婚を前提に住むからと大阪暮らしは解散となった。
解散する前にみけから怒ってしまったことを謝られたのだが、謝りたいのはこっちの方だったのでお互いごめんねって言い合って私は地元に戻り、みけはそのまま大阪で暮らしていた。

数ヶ月後、私は埼玉にいた。ネットで知り合った今の旦那と同棲するために埼玉へ引っ越した。フットワーク軽すぎて自分で引く。
そこからまた数ヶ月経って、みけは結婚して母親になった。お互い生活が変わってしまい、前みたいに毎日連絡を取ったりすることもなくなったがたまに「元気?」とか「何してんの?」とか話していた。母親になったみけがどんなもんなのか見てみたかったが、中々大阪に行く機会もなくなんか8年も経っていた。

先月、ライブのため大阪へ行く機会ができた。当たり前のようにみけと会う約束をした。というか「1月に大阪でライブがあるから行く」と言ったら「じゃその次の日何が食べたい?」と聞かれて笑った。大阪へ行く=みけと会うは当然のことだった。
8年ぶりにみけに会った。生まれて会ったことがなかったので、子どもを連れてきてもらった。
あんなに毎日毎日遊んでいた相手と8年ぶりに会うとか緊張するかなと思っていたけど、まあ何もなかった。久しぶり感がゼロで昔話に花を咲かせつつ「お互い大人になったね」と言い合った。みけは特に何も変わってなかった。中学3年生の時、急に話しかけてきたあのままだった。
強いていうと、ちゃんと母親になっていた。
みけの子どもは「みけの子どもです」って感じで初対面なのに一緒にマリカーをやったし、バタバタ別れた後「あの人とは次いつ会えるの?」と言っていたらしい。

私とみけがなんでこんなに仲良いのか、同じ学校だったのは中3の数ヶ月だけなのに何故私はずっとみけと一緒にいたかったのか、ブログにみけのことを書くことにした時考えたのだが、多分みけは私が何をしようと特に干渉してこない唯一の友だちなのだ。
中学の時、私はリストカット癖が酷くて左右とも腕がめちゃくちゃだった。当時みけにそれを見せたことがある。リアクションを全く覚えていないあたり全然反応がなかったんだと思う。
成人式を終えてしばらく経って実家に戻った理由は一人暮らしの家で盛大な自殺未遂をしたからだった。それも話したけれど、みけは「これでたくさん遊べる」くらいで何があったのかとかは何も聞いてこなかった。だから私も気が楽だった。

私が何をどうやらかそうが、変に心配もしてこないし相談して欲しいとかも一切ない。気を遣ったことも遣われた覚えもない。
みけは今後一生、最強で最悪で最高な相方だ。




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