「無」
「無」になるとは、どういうことなのでしょう。
こんにちは。
たらこです。
仏教用語の「空」
とはまた別ものなのでしょうか。
①人はなぜ苦しみをこじらせるか
1.怒りや不安、悲しみなどのネガティブな感情は、生き残るためのプロセスで、遺伝子に組み込まれており、自分に欠陥があるわけではありません。
2.苦しみをこじらせてしまうのは、反芻思考により失敗や不安を何度も思い出すからなのです。
自ら負の感情を増幅させているのです。
3.苦しみを増幅させずに終わらせる方法
苦しみや悲しみ、怒りを感じた時に、約6秒間はアクションを起こさない事です。
そうする事で、分泌される神経伝達物質の効果が薄まります。
誰かの心ない言葉に傷ついたとしても、ドーパミンの持続は10分も持たないので、ゲームなどをして、3分ほど気分転換をするのも良いでしょう。
分かっていても、なかなか感情の抑制は難しいですよね。
②自己とは何か
自己にこだわる人は、自己注目が強いため、メンタルを壊しやすいと言われています。
理想の自己を思う事が多い人ほど、抑うつなどの精神疾患にかかりやすいのです。
苦しみを増やす原因に自己が関わっているのなら、自己などない方が良いのではないかと思いますよね。
自己が無くなれば、苦しみも未来も過去も消え、現在だけが残るので、幸せなのではないかと思うかもしれませんが、自己を消すことなどできるのでしょうか?
そもそも、自己とは内面に常駐する感覚ではなく、感情を支配する上位の存在でもなく、特定の機能の集合体にすぎないのです。
自己は神経心理学では、
1.人生の記憶
過去の出来事を想起する機能
2.性格の要約
自分のパーソナリティの概要を掴む機能
3.感情の把握
自らの感情を第三者的に観察
4.事実の知識
自分に関するファクトを理解する
5,連続性の経験
過去の自分と同じ人物であるという感覚をもたらす機能
6,実行と所有感
肉体の持ち主は自分自身であり、その行動と思考は、意思で決まると感じさせる機能
7.内面の精査
自分の行動や思考、感情をモニタリングし、さらに新しい行動と思考につなける機能
自己とは特定の集合体にすぎないのです。
具体例
1.どの仕事から手をつけるべきか考える時
➡️前頭前野皮質や海馬に自己が発生
2.悲しくてやりきれない時
➡️扁桃体や視床下部に自己が発生
3.鏡を見てこれは自分であると感じた時
➡️皮質下の脳幹構造に自己が発生
脳からすると自己は目や鼻、足や手といった、生存ツールの一つにすぎないのです。
自己は架空の存在です。
私たちは、自己など存在していないことに本当は気づいているはずです。
リラックスしている時間や、仕事に没頭している時、友人と夢中でおしゃべりしている時など、わざわざ自己を起動させて、辛い過去や未来への不安に思いをはせる必要はないですよね。
ただ目の前に起こる情報を処理するだけですみます。
無我夢中という言葉がありますが、我を忘れるほど、夢中になっている時、人は自己など忘れてますよね。
自己などなくても日常のルーティンはこなしていけます。
自己が関わらない方が上手くいくことも、たくさん経験してきているはずです。
自己も鍛錬を積むことで操作可能だとしたら…
③世界は虚構である
無我とは、仏教用語で
我意・私心が無いこと。没我。
我を忘れること。
トレーニングを積む事で無我に至る精神修養を身につける
無我によってどのような人間になれるのでしょう。
1.周囲の状況の展開から事前に脳が物語を作る
2.感覚器官の情報を脳の物語と比べる
3.脳の物語が間違ったところのみを修正して、現実を作る
⑴物語の自動発生をピンポイントで止めることはできない。
⑵物語によって行動させられる自分を認識できない。
この2つから無我を導くための作業は解決するはずです。
停止と観察
停止→物語の製造機能そのものを止めてしまう方法
トレーニング方法→止想(しそう)
脳内のイメージや呼吸などの特定の対象に意識を向ける瞑想です。
観察→ネガティブな物語をじっくりと見つめる作業
停止で物語の強度を限界まで下げ
観察で物語を現実から切り離す
観察の感覚を知る
1.犬
2.りんご
3.カメラ
4.山
5.日曜日
これらの5つの単語を声に出さずに読んでみてください。
読んだ時に幾つかの単語に対して、そのものをイメージしなかったでしょうか?
停止と観察のトレーニングを積み重ねるうちに自己、思考、感情のいっさいは、どこからともなく現れ、放置すればやがて消えていくという感覚を体験し、ネガティブな感情や思考は生体の維持機能の一つであって、世の移り変わりの一部に過ぎないという事が理解できたと思います。
精神機能を観察し続けると、
自己を構成してきた人生のあらゆる要素が、最初から無関係だったかのような感覚が現れます。
脳が、今までの経験がフィクションであり、本当の現実ではなかったと気付いてしまえば、無我に達したと言えるでしょう。
どれだけ無我のトレーニングを積んでも、生存するためのツールとして備わっている自己の起動を防ぐことはできません。
無我に至った後も、自己は現れ続けます。
観察スキルを身につける事で、
自己に振り回されることはなくなります。
自己が備われば、思考と感情から一旦距離を置けるため、簡単には影響されなくなります。
裏切りに失望したり、失敗の挫折感に打ちのめされることもなくなるでしょう。
無我に至った人間は何者になるのでしょうか。
どのような心を持ち、どのような行動をするのでしょう。
幸せになれるのでしょうか。
1.自分と世界を隔てる境界が消えて精神が拡大した感覚と強い幸福感を抱く
2.自己が消えた後で、独自の一体感や安心感が生まれ、人生の悩みが消え、強い幸福感を得られる。
…長くなりました。
しかし、実に哲学的で難解でありました。
なんか、悟りを開いた気分です笑
ではでは^ ^
参考書籍
➡️無=最高の状態