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ENTPから見た景色 #10 エレベーターで喜ぶ子供と作られた現実

「わあ!落ちてるみたい!!」

これは全く見知らぬ子供が、下りエレベーターの中で言っていた言葉だ。
そこそこの速度があるエレベーターは、5秒程のつかの間ではあったが、私たちに緩い浮遊感を与えていた。

ここでふと思う。
どうして実際に(浮遊感を覚えるほど)高い場所から落ちたことは無いはずなのに「落ちているみたい」という言葉が出るのだろうか?
このような未知の体験を真実として、目の前の現実をそれの模倣として解釈することは、別に子供だけに起こる話ではなくて、大人もやると思う。むしろ大人の方がやると思う。「ふわっとするでしょー!落ちる時はそうなるんだよ〜」という絵や言語などで現実を解釈するための道具として頭に溜まった知識。それがいつの間にか先行して、現実を作るようになる。(文字とか良い例だと思う。私たちはもはや「文字」という線によって出来上がった図形を、文字としてしか解釈できない。)

これは良く「大人になることで柔軟性を失った」的に言われるが、私は悪いことだとは思わない。
毎回「文字」を図かもしれないと考慮することは効率的ではない。知識とは乗り物のようなものだと思う。知識を得て歳を取ることで、歩いてしか見えない(時折大事なこともある)小さな物が目に入らなくなる代わりに、より遠くまで行けるようになる。つまり、暗黙の了解を逐一確認せずに済むので、サクサク物事が進むようになるのかなって。


次はこれ

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