芸術について
芸術について
芸術は全てである。全てが芸術に含まれる。
芸術においては全てがゆるされる。
そのうえで、、、
芸術が苦痛を表現するとき、それは美しくなる。
そして、芸術がより根源的な苦痛を表現するとき、我々の経験の全体はいよいよ美しくなる。
美について
美は、感性の指標になる。美は「ここにはこのような感性がある」という目印である。
我々は、美におびき寄せられるようにして、ある感性から感性へと移動し、精神を変化させていく。
我々の経験の全体が美化されうる、我々が生をただそのままに、直接に「良いもの」と言いうる唯一の感性は、芸術家の感性であり、瞑想家の感性である。
彼らは、体験に手を加えようとしない。ただそこにあるものを見ようとする。あるいは表現しようとする。彼らにとっては、この世界のあらゆる体験はただそのままに肯定されるもの、悦ばしいものである。
一つの創作論
私の創作論がありうるとすれば、それは創作論を持たないことである。
方法化の意志は、怠惰に由来する。方法を持つ、というのは体験に区別を持ち込むことである。このことにより、取り逃がされる美の領域の広大さたるや、、、!
芸術とは常に、その時、その場で起こることである。
欲望について
私は、「あの快楽をもう一度」を欲望と呼ぶ。その意味で私は禁欲主義者である。
欲望というのは、方法化の意志と表裏一体である。つまり、それは快楽を得る手段の方法化であり、ここに同一性の根がある。
禁欲、というのは方法として方法を放棄することであり、この修行は、いよいよ禁欲という方法さえ消え去ってしまったところで完成する。
あの欲望にもう煩わされる事のない人間、移ろいゆく世界に「聖なる『然り』をいう」者、彼こそが仏陀であり超人である。
ニーチェは私に反対するだろうか。
いや、彼も私も、まだ超人を知らない、、、