活元の詩
鬱。漠然とした不安。眠れない夜。何となく辛い、痛い。焦り。そんな時。
ふと気づく。今の状態に気づく。何だこれは、と。それまで、そこから逃げていたそのものに気づく。そして、本当にそれを直視してみる。すると、そこにあるのは何であるか。
実は、鬱も不安もない。ただ、動きがある。あるいは動きの萌芽、動き出したいという要求がある。
少しでもこの動きを捉えたら、ただそのままに。体が動くに任せ、声が出るに任せ。心も動き出す。息を吸い、吐く。げっぷが出、あくびが出、涙が出て、最後には深い呼吸と穏やかな気持ちが残る。
ここまで来ると、鬱も不安も、そこから逃避しようとする働きが作り出した幻想であると判明する。
忙しくしていると、何もかも見ないで隅においやることができる。そうしている内に、追いやったものが大きくなって容易にはそちらに目を向けることができないような気がしてくる。それで「鬱」だ「不安」だと名前をつけては、その名前を相手にして、また心を忙しくする。肝心なところは何も変わっていない。「鬱」をあちら側に置き、こちら側の「私」というものをより頑なにしていく。
本当は、このあちら側もこちら側も、源は一である。そこには生の流れがある。
ただ、この流れに成ってしまえばよい。そこには何の努力も心配も、考えもない。それは、誰でも、どんな状況でも、今、すぐに可能である。
生は、常に今始める。生は常に前を向いている。
ただそのままに。ただそのままに。