追想〈#18-19〉
#18-19
実家から時間をかけて大学に通う日々が始まった。行き帰りの電車は人でごった返していて、身動きすらとれないことも珍しくはなかった。電車という密閉された閉鎖的な空間で、且つ身動きがとれないという状況に心は悲鳴を上げていた。
講義はそれなりに楽しかったのだが、演習系の科目に大苦戦をして、遅くまでキャンパスに残った割には何の成果も得られなかった。ここまで要領が悪かったのかと自分に失望した。そして事あるごとに失望を重ね、死にたくなった。
ある日は通学電車で倒れて駅員さんのお世話になり、ある日は演習中に倒れて大学の保健室のお世話になり──倒れる回数は増えていく。満員電車も、演習系科目も、苦痛でしかなくて、春色のキャンパスライフを灰色に塗り替えていった。
当然そのような状況はなんとかしようと思っていたので、心療内科を継続して受診していた。次第に薬の量は増えていき、処方された得体の知れない赤い錠剤だって口にした。この状況に光が差すなら何だって飲んでやるという気持ちでいた。
薬を飲んだからといって状況が好転するはずはない。そんなことが分からなくなるほどに視野狭窄が起きていた。追い詰められていたのだろう。それを理由にして愚かな行いを正当化するつもりはないが、この時期に多くの人間を傷付けた。
希死念慮(死にたい気持ち)はだんだんと大きくなり、やがて僕の脳は希死念慮に支配された。ある夜に全ての連絡先を削除して、死ぬつもりで家を出た。でもいざ死のうとすると怖くて足がすくんでしまって、動けなくなってしまった。
本来、生き物というものは自己の生存を最優先に考えるのだと思う。生きていたいし、死ぬのは怖い。それにも関わらず、恐怖の対象であるはずの「死」に向かっていってしまう状況は、生きる苦しみが死の恐怖を上回る異常事態だ。
その夜は高校時代の同級生たちが車に乗って駆けつけ、捜索が始まった。そして夜道で僕を見つけてくれ、自死を防いでくれた。彼らが乗ってきた車のライトの灯りを、僕は忘れてはいけないのだと思う。あの日、僕は一回死んだのだから。
*
薬の量が増えたことで、恐らく鎮静が効きすぎてしまい、僕は真っ直ぐに歩くことが難しくなった。そして19歳の7月某日、精神科病院に入院した。当時の状況を詳しく想起することは最早困難だが、入院した時の僕は車椅子に座っていた。
43日。それが僕の入院日数。その間に薬剤調整が行われ、薬は大幅に減薬された。優しくしてくれた女性看護師に陽性転移を起こして限りなく恋愛感情に近い何かを抱いたり、一方で主治医に不信感や憤りを爆発させる陰性転移も起こした。
自宅で療養する生活が始まったものの、心は休まらなかった。同級生たちは前に進んでいるのに、僕は休学していったい何をしているのか。「世界に置いていかれる」という表現を、自分のものとして理解できた。理解したくなかった。