アイドルを推すつもりじゃなかった 〜サブカルこじらせのわたしがJO1を好きになった101の理由
YouTubeの関連動画サムネイルに表示される「日プ2」という単語が、何のことを指すのかまったく分かっていなかったのが2021年5月。JO1のことを「推してるな」と確信したのが2021年6月。その一ヶ月間に起こったこと。
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フリッパーズ・ギターが「海へ行くつもりじゃなかった」というアルバムを発表したのはバブル絶頂期の1989年。リリースをリアルタイムで体感したわけではないけれど、その自分の理解のはるか先にあるお洒落な世界観に憧れて、学生時代はずっと「渋谷系」と寄り添って過ごしていた。
学校帰りには一人で渋谷のレコード屋に寄り、古本屋で手に入れた小説を片手に下北沢の暗い喫茶店でカフェオレを飲む。民放のテレビドラマやバラエティ番組を観ていることは口にせず、単館上映のフランス映画や最近見つけたレア盤のレコードについてが友人との話題の中心。
レコードを聴く友人が増えると、ライブハウスやクラブへ通う回数も増え、好きなアーティストのルーツを掘ることで新しい音楽にたくさん出会う機会も増えた。ロック、フォーク、ハウス、テクノ、ヒップポップ…さらにそれが分岐したカテゴリーの音楽たち。クラブ帰り始発前の松屋で牛丼を食べる気だるさと爽快感。テレビの中で歌い踊るアイドルとは無縁の青春時代を過ごしていた。
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2021年、おうち時間に支配される中、手元にあって予定がなくなったライブのチケットは10枚以上、未だに予定の決まっていないチケットも数枚ある。最初は「仕方ないよな、おさまったらライブに行くのが楽しみ!」と思って払い戻しもせずにいたけれど、未だにその日は来ていない。
典型的なサブカルこじらせな自分も、オンラインライブやサブスクでの動画視聴にもすっかり慣れ、YouTubeと配信番組、SNSを行き来するのも普通のこととして受け入れるようになった。ライブに行くという「現場体験」が奪われ続けたことで喪失感を感じながらも、人と接触することのない時間それ自体を楽しむようにもなっていた。ライブや遠征、遠征時の友人とのごはんに使っていたお金や時間が行き先を無くして、はじめて「推す」「掘る」ものがない時間が訪れていた。
J.Y. Parkがマツコ会議に出た回を動画配信サービスで見たことがきっかけのように思う。マツコとのやりとりで韓国のアイドル育成のメソッドに興味を持ち、Nizi Projectをアーカイヴで一気に観たあと、リリースされた曲のMVやプラクティス動画などを回遊し、関連で出てくるK-POPのMVや韓国人YouTuberの動画までも見るようになった。何に駆り立てられているのかは分からなかったが、アイドルを目指す子たちとそれを導く指導者、目に見える成長とオーディションという過酷な状況が与えてくる高揚感。それらが心の隙間にねじ込まれていくことで、なにか失ったものを取り戻せるような感覚に至った。
関連動画のサムネイルの多くに「日プ2」という単語が並ぶようになると、単語の意味はまったくわからなかったが、ひとつでも動画を観たらあとに戻れなくなってしまうのではないかという恐怖からクリックをためらう自分がいた。その予感は今思えば正しかったのだけど、ためらう必要はなかったとも思う。
PRODUCE 101 JAPAN SEASON2(S2)の配信が始まった約1ヶ月後、韓国YouTuberのリアクション動画の中でJO1を初めて知る。その時リアクションされていたのが、Speed of LightとDesignのパフォーマンスビデオだった。つい最近まで忘れていたのだけれど、わたしがJO1でいちばんアガる曲はSpeed of Lightなので、原体験って恐ろしいなと思う。リアクション動画でJO1の良さを感じたかというとそういうわけではないけれど、自分が知っている「アイドル」「ボーイズグループ」というものとは違うな、こんな人たちがいるんだな、もうちょっとちゃんと見たいなと思ったことが、沼の入り口だった。
そういうタイミングで、PRODUCE 101 JAPAN(S1)のアーカイヴを見始めたわたしの前に燦然と光を放って現れたのが「川尻蓮」という人だった。川尻蓮さんの身体から放たれる関節が弾むような軽やかなリズム、頭の後ろをずっと締め付けられているような切実なムード、お辞儀の角度と美しく整えられたうなじの様子、その全てが「これはこの上なく良質なもの」とわたしに語りかけていた。オーディションをリアルタイムで観ていた人は、その衝撃を2年前に体験していたのだと考えると、知らなかった自分が過ごしてきた時間を疑うほどに、圧倒的な存在だった。
S1を一気に見たあとも、そのしなやかな動きと切実な表情を見たくてMVやPV、配信サービスに残っているKCONやテレビの出演動画を次々と漁り、それが尽きるとビハインドやメイキング、ちょとしたオフカメ動画などを順に消費した。ダンスをする姿や真剣な顔つきが見たかったはずなのに、どんなシーン、どんな表情も見逃したくないと思うようになっていた。ファンクラブに入ったのがS2のファイナルの日だったことを覚えているから、認識してから約1ヶ月後のことだ。動画探しの旅で最終的にたどりついたのは、モコモコのフードをかぶりピカピカ光る頬でニコニコと博多弁をしゃべる川尻蓮さん。「ああ、この人が好きだな」と思うと同時になぜか「この人を理解するのは無理なんだ。わたしのような者が理解できる存在ではないんだ」と勝手に心のなかで敗北宣言した。そう、最初は川尻蓮さんだけを見ていた。はずだった。
完全に個人的なことだけれど、この時期同時に引っ越しに向けた物件探し・リノベーション手配・不動産会社や銀行とのやりとりなど、人生のなかでも割と大きなイベントをこなしながらの沼落ちだったことは今でも不思議に思う。おそらく今まで仕事に忙殺されながらも追ってきたライブのチケットの争奪戦、全国への遠征手配、そのための情報収集や仕事のスケジューリングで培われた集中力が発揮されたように思う。何かを好きになるのは「時間があるから」ではないことがはっきり分かる。
少し冷静になった頭であの頃「JO1を好きになった理由」を考えたい。これはこの何ヶ月か毎日思っていることなのだけど、日々の供給にすぐ沸騰してしまい、冷静になったことが一度もないのが困ったところだ。このブログだって書き始めて数週間が経っている。
それでもすぐに思いつくのは「パフォーマンスの質が高い」こと。スポーツでもビジネスでも芸術でも、人を圧倒するのはまず技術力だと思っている。技術力の裏にはそれを身につけるための才能や努力、時間や工夫があることを推測するから、それを経て技術を身につけた人を自分と比べて「凄い」と思う。もしくは比べようもない場所に置いて「凄い」と思う。わたしがJO1を認識した時期は『CHALLENGER(3rdシングル)』と『STRANGER(4thシングル)』の間だったので、最新のMVはBorn To Be Wildのもの。毎日のようにMVとPVを交互に見ながら「こんなに揃ったダンスを踊りながら全員しっかり歌を歌うってどういう…しかも高音…上手…どうして…どうやって…アッかわいい…なぜ…」という答えのない問答を繰り返した。他のものと比べたわけではなかった。でも「質が高い」ことがわかった。
もうひとつの大きな理由は「品がある」こと。何と比べてどういうふうにと言語化できない自分がもどかしいのだけど、ビハインドやメイキング、お誕生日のサプライズ動画などを見るにつけ「下品」なところがまったく見えない人たちだと感じたことが、自分のリミッターを外したように思う。アイドルという商品として世に送り出されている以上、ビジュアルや振る舞いが管理されていることは分かっていたし、パフォーマンスが良ければ人柄はそこまで気にしないと思っていたけれど、ふと出る言葉づかいやメンバーに対する態度、座るときの姿勢やふざけて大笑いしている様子にすら品を感じることが、わたしを油断させ続けた。
さらに、少し後付で思う理由のひとつに「メッセージが固定されていない」ことがある。表現なのだからメッセージがあるのは当たり前で、それを伝えるのがアーティストなわけだけど、わたしが彼らの表現から感じて安心できるのはそれが「解釈を許されたメッセージ」であるということ。もちろんそれぞれのシングルやアルバムにコンセプトが定められていて、メッセージテーマは決まっている。一方でそのメッセージが誰とどういう関係性で共有されるべきものなのかは断定されていないことが多い。歌詞に度々出てくる「ボク」が彼ら自身なのか聴き手なのか物語の主人公なのか、「キミ」が恋人なのか友達なのかメンバーなのかJAM(ファン)なのか、その置き換えによってメッセージが大きく変わる。つまり、聴く人が「ボク」と「キミ」を定めることで初めてメッセージが立ち上がる構造が多いことで、どんな状況の人にも「自分に関係のある歌だ」と思わせることができているように思う。もし断定されていたとしたら、すぐさまそこから振り落とされた自分がいただろうことも想像に難くない。
などと、分析的に考えられるのも供給の狭間だけ。JO1を好きな理由が101個あるとすれば、90個くらいは「かわいい」に集約されるだろう。出会いから10ヶ月経った今、日々提供される彼らの姿に対していちばん多く発している感情は「かわいい」だし、彼らを褒める言葉の最後に「あと、かわいい」を添えずにはいられない。人が赤ちゃんをかわいいと感じる理由は、頭身が1:1に近いからだと聞いたことがあるけれど、その真逆の彼らをこんなにもかわいいと感じる理由は何ですか。まったく分かりませんよ。
好きなアーティストが楽曲提供したという理由でNegiccoちゃんを推した(といっても数回ライブに行ったという程度)以外にアイドルとの接触機会はなく、KPOPに親しみもなく、サブカルからの文脈的な経緯もなく、誰にも背中を押されることなく、共有し合う相手もおらず、こんなにもスルッと沼に落ちたことを、不思議ながらに幸せなことだと感じている。事前に韓国発祥のオーディションについてある程度理解を深めていたこと、自宅にいる時間が長くわりと自由に情報収集ができたこと、そんな好条件が揃っていたことも相まって、1ヶ月という光の速さで「推している」という自覚を持つに至ったけれど「沼落ち」の過程はそれからもずっと続いているように思う。
これは初期衝動の記録で、このあとサブリミナル効果的に見事に木全翔也さんに沼落ちしたり、サブカルの友人をステルスで沼落ちさせたりするのだけど、それはまた別の話。機会があれば言葉にしたい。
【2022.04.11 NR】
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